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    中国をつけ上がらせた歴代中国大使の「大罪」 青木直人氏(WiLL2011年11月号より)

    日本国内における反日 comments(0) trackbacks(0) まったけの嫁

    中国をつけ上がらせた歴代中国大使の「大罪」
    青木直人
    著・青木直人氏(ジャーナリスト)

    (前略)
    ■日本のカネをばらまく
    私たちは中国にかぎらず大使の権限については、ほとんど何も知らない。だが、その権力は圧倒的なものがある。

    教科書的な書き方をすれば、大使には中国政府との間で条約の調印など日本を代表して外交交渉を行い、同時に、滞在する自国民の保護を行うことが求められる。業務は多種多様である。それだけに、大使以外に公使、参事官、駐在武官、書記官など、正規の身分のものだけにかぎっても、首都・北京にある日本大使館と中国全土にある6つの総領事館に、以下の数の正規職員が配置されている。

    北京日本大使館 97名
    上海総領事館 38名
    広州総領事館 23名
    瀋陽総領事館 36名
    重慶総領事館 12名
    青島総領事館  8名
    香港総領事館 24名
    合計238名(平成23年度現在、現地スタッフを含まず)。

    丹羽大使はこれだけの数の職員のトップにいるわけだが、同時に彼は、ホームページに「中国最強商社」と掲載するほど中国政府との緊密さを宣伝する伊藤忠商事の社長・会長・相談役を務めてきた人物でもある。外務省出身ではなく、「民間」出であることが逆に、中国に進出中の民間企業との間に高い壁をつくってしまう危険性を内包しているのである。

    だが、丹羽氏だけが、経済第一の媚中外交を展開してきたわけではない。日本の歴代中国大使がこれまでしてきたことは、ひたすら形骸化した中国との友好を叫びながら、中国に迎合することに終始し、まともな反論もおこなわず、唯々諾々(いいだくだく)と謝罪と援助を繰り返してきただけなのである。


    ■中国大使の天下り先

    なぜ中国大使たちは、これほどまで中国政府に迎合するのか。その一因を彼等のプロフィールから探ることができる。

    表をご覧いただきたい。1972年の国交回復から現在まで、中国大使は現職を含めて13人おり、彼等はほぼ例外なく、中国進出に熱心な大企業の顧問に天下りしている。三菱重工業、神戸製鋼所、新日鐵、ヤオハン、NTTデータ、住友商事など、いずれもそうそうたる有力企業であり、同時に日本から中国に供与されているODAプロジェクトの受注企業と見事に重なり合っている。


    歴代中国大使(在任期間・年)天下り先一覧
    1.小川平四郎(1973〜77)住友商事顧問、霞山会顧問
    2.佐藤正二(1977〜79)国際交流基金理事長
    3.吉田健三(1979〜81)海外移住審議会会長代行
    4.鹿取泰衛(1981〜84)国際交流基金理事長、(財)国際開発高等教育機構理事長
    5.中江要介(1984〜87)三菱重工業社長室顧問、日本日中関係学会会長
    6.中島敏次郎(1987~89)最高裁判所判事
    7.橋本恕(1989〜92)ヤオハンインターナショナル取締役、神戸製鋼所特別顧問
    8.国廣道彦(1992〜95)経済同友会代表幹事特別顧問、NTTデータ顧問
    9.佐藤嘉恭(1995〜98)東京電力顧問、資生堂顧問、三井住友海上火災保険顧問、日中友好協会副会長
    10.谷野作太郎(1998〜01)東芝取締役、対外タスクフォース委員、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授
    11.阿南惟茂(2001〜06)新日本製鐵顧問、日中交流センター所長、新日中友好21世紀委員会
    12.宮本雄二(2006〜10)日本日中関係学会会長
    13.丹羽宇一郎(2010〜)


    そもそも、法治ではなく人治の国中国では、中国人トップとの人脈がビジネスのリスクをヘッジする。法の不備な中国でものを言うのは、トップの鶴の一声だからである。

    たとえばその関連でいうと、本誌7月号「中国ODA7兆円の闇」で指摘したように、日本のODAの90% を占める円借款は、他の先進国と決定的に違い、被援助国がプロジェクトの受注企業を選定するというアンタイドローン方式を採用している。ODA(円借款)が日本国民の税金から出されたものであっても、他国のように、援助する国の企業が自動的に受注できるわけではない。

    こうしたシステムのため、カネを出す日本側がカネを受け取る中国側に対して、一方的に弱い立場におかれるという逆転現象がおこる。そのため、援助国の日本企業の側が、工事の使命権と発注権をもつ中国政府や要人たちに迎合せざるを得なくなるのである。

    ここから、中国に気に入られている媚中大使の存在と役割が生まれる。彼らが大使時代に築いた中国政府高官との人脈が、天下った日本企業のビジネスにとって必要不可欠なものになってゆくのである。これが、中国大使を有力企業が高給で雇い入れる理由であり、絶対条件は大使が中国に気に入られているという点である。企業にとって、在職中に中国とケンカをするような大使は”使えない”のだ。歴代中国大使のなかで、いまに至るも対中ODAの中止や削減を本省に提言した人物はいない。そればかりか、後述するように、外務省のODA削減姿勢に猛然と噛み付いた大使すらいる。

    ■病的な「日中友好劇」

    では、13人の歴代中国大使について、順を追って述べることにしよう。

    初代大使・小川平四郎氏が天下りした先は住友商事である。国交回復前から中国貿易に従事している、ある中小企業役員はこう話す。

    「いまでは伊藤忠が大手を振っていますが、住友商事は1972年の日中国交正常化前後から、中国が大事にしていた商社なんです。周恩来の下で対日関係を仕切っていた最大の対日窓口である中日友好協会とのパイプも太かった。小川さんを顧問に迎えることで、さらに中国政府要人に食い込もうとしたはずです」

    続く第2代大使・佐藤正二氏は国際交流基金理事長へ、第3代大使・吉田健三氏は海外移住審議会会長代行へと、いずれも民間企業ではなく、外務省の外郭援助団体に天下りを果たした。

    この時期は総理府(現内閣府)の世論調査でも、中国に親しみを感じる日本人の割合が80%を超えるほどで、そうした事情は中国も同様だった。当時は、中国と積極的に経済関係を築こうという先進国も日本以外になく、こうした背景も両国間の摩擦を回避させていたのである。

    この「良好」な中国と日本との間で外交問題が噴出したのが、国交回復から10年目の1982年のことである。いわゆる教科書問題がそれで、第4代大使・鹿取泰衛氏の時代のことだった。

    中国(および韓国)外務省が、日本の教科書が中国「侵略」を「進出」に改竄したと抗議してきた問題だったが、そもそもそうした改竄の事実はなかった。ところが、当時の宮澤喜一官房長官はろくな調査もせず、「これからは中国や韓国に配慮した近隣条項を取り入れる」として、「友好」を大義名分に、歴史の解釈権を一方的に他国に委ねてしまったのである。

    鹿取大使がこうした政治介入に抗議したという話は聞かない。これ以後、中国側にどれほど誤りがあろうと、それを日本がひたすら無条件に受け入れることで、病的としか思えない「日中友好劇」が幕をあける。

    鹿取氏は退官後、第2代の佐藤大使と同じように国際交流基金理事長に就任し、本格化してきた中国との文化交流などにかかわる。

    鹿取大使の後任が、第5代大使・中江要介氏である。彼は歴代大使のなかでも媚中度指数が極めて高い人物で、89年の天安門事件の際も「中国を侵略した日本が彼らを批判できるのか」と言い切った”勇気ある”外交官だった


    ■急増した対中ODA

    中江氏が退官後、就任したのがODA受注企業としても有名な三菱工業の社長顧問である。彼が大使在任中の1984〜87年という時期は中曽根康弘内閣で、日本の第2次ODAがスタートした頃だった。

    中曽根首相−中江大使時代、中国向け第2次円借款(1984〜89年)は第1次のそれと比較して、一気に50%近くも急増している(第1次・3300億円、第2次・4700億円)。

    中江氏の経歴でさらに注目すべきは、2000年の7月に発足した「日朝国交正常化促進国民会議」の理事長に就任していることだ。同会議は、会長に村山富市元首相、副会長に明石康元国連大使、三木睦子元首相夫人、事務局長が和田春樹東大名誉教授という、親北朝鮮ロビイストたちで占められていた。

    結成式には徐萬述(ソマンソル)朝鮮総連第1副議長(当時)ばかりか、「日本人がひとりふたり拉致されたくらいで、北朝鮮との正常化を妨げてはならない」と、売国的な発言を行った槙田邦彦アジア局長(当時)らも出席している。

    会発足の模様は、朝鮮総連の日本語機関誌『朝鮮時報』の1面に大々的に掲載されたばかりか、中国共産党機関紙『人民日報』も国際面でこれを報じた。

    中江氏の後を継いだのが、第6代大使・中島敏次郎氏。彼は例外的に、中国とは無関係の最高裁判所の判事に就任している。

    以後、中国の市場経済化が進み、それに伴い、中国と日本経済や日本企業との関係が深まっていくにつれて、中国大使の民間大手企業への天下りが一般化していく。


    ■国家機密が筒抜け

    続く第7代大使・橋本恕(ひろし)氏のケースはその典型である。彼は日中国交正常化当時の外務省中国課長で、中国関係者から親しみをこめて「チャオベン(橋本の中国語読み)」と呼ばれていた人物だが、外務省を退任後、倒産したヤオハンインターナショナルの取締役に就任、和田一夫会長の中国進出をバックアップしたことでも知られる。ヤオハンは95年、上海の浦東(ボドン)開発区にアジア最大のデパート「ネクステージ上海」を建設した日本企業で、橋本氏は、周恩来の養子で当時の首相でもあった李鵬に強いコネクションを持っていた。こうした橋本人脈の成果で、和田氏の会長室には李鵬首相とのツーショット写真が飾られることになる。

    この「ネクステージ上海」に関しては、知られざるある事実に触れなければならない。それは、この広大な建設予定地はもともと、更地ではなく地元国有企業労働者たちの社宅だったということである。それを政府が強制的に地上げし、「ネクステージ上海」の建設用地として、ヤオハンに提供したのである。

    ヤオハンの上海進出を外資を呼び戻すきかっけにしたい中国首脳は、和田会長に「ほしいところをどこでも仰ってください」と囁(ささや)いた。それは、住民の意思とは何の関係もない上からの一方的な決定だった。

    続く第8代大使・国廣道彦氏は外務省を退任後、NTTデータの顧問に就任している。NTTグループはかねてから、中古電話機を中国の各機関に無償でカンパしていた会社で、狙いは海南島の通信ネットワークの受注にあった

    国廣氏には、不名誉なあるエピソードがある。

    「国廣道彦大使の常識はずれの執務・対中中国外交のアキレス腱」という『週刊文春』のレポート(94年11月10日号)によると、彼が大使時代、ネフローゼを患い、日中友好病院(日本からの無償援助で建設)に入院した際に、病室に機密外交文書を持ち込み、大使館スタッフと打ち合わせまでしたというのである。

    日中友好病院のスタッフは、医師から看護婦までがオール中国人で占められ、さらに病室の会話は24時間体制で盗聴、監視ビデオまで設置されていた。国廣大使はこんなところで、部下に外交レベルの指示を出していたのだ。本来、国家機密であるはずの会話の内容は、中国の情報機関・国家安全部に筒抜けだったはずである。危機管理のあまりのなさに唖然とする。

    筆者は、かつて日中友好病院を取材中に、外の駐車場から病院を撮影していたところ、突然、数名の警察官が「止めろ」と大声で怒鳴りながら駆け寄り、「カメラのフィルムを渡せ」と脅されたことがある。この病院は一般大衆とは無縁な党幹部の専用病院と化しており、常に異例の監視警備体制下に置かれているのである。

    だが、国廣氏の後を継いだ、第9代大使・佐藤嘉恭氏のケースはこんなものではない。彼の媚中度指数は、中江大使と双璧といって良い。


    ■遺棄化学兵器処理の真相

    佐藤大使について特筆すべきは、1995年、中国が世界の反対を押し切って地下核実験を強行したことに対して、日本が対中ODA(無償援助分)を凍結した際のエピソードである。

    日本政府は、広島・長崎と二度も被ばく体験をもつわが国において、核実験は許せないとしてODA中止に踏み切ったが、肝心の佐藤大使は「ODA停止には絶対反対です」と本省に通告しているのである。およそ信じがたい話である。

    日本側の抗議とは言っても、ODAの10%にすぎない無償援助を止めただけである。外務省はインドとパキスタンが核実験を行った際は、新規の円借款と無償援助をともに中止している。この落差ははなはだしく、中国には格別の配慮がなされているのである。

    だが、この程度の軽微な抗議ですら、中国側は激怒した。人民解放軍の機関紙『解放軍報』が連日のように、「復活した日本軍国主義」や、真偽不明な「南京大虐殺」への非難記事を掲載し、反日モードを一方的に高めていた。これに危機感を強めた河野洋平外相(当時)と佐藤大使は、遺棄化学兵器処理を日本の予算で全額負担するという中国側の要求を最終的に受け入れることになる。ある日中関係者は、「これは、ODA中止の代償だった」と断言する。

    補償金額は最低でも1兆円。全て日本人の血税である。実務を担当していたのが佐藤大使だった。
    呆れるのはこれだけではない。

    「ODA停止には絶対反対ですと本省に伝えた」と胸を張る佐藤氏はその一方で、中国が尖閣諸島を自国の領土だと主張していることについては、「中国には本音と建前があり、建前では強いことを言わざるを得ない」とこれを弁護する(発言はいずれも『東亜』02年8月9日号から引用)。

    中国はすでに1992年に領海法を制定し、尖閣諸島(魚釣島)を神聖な中国領であると内外にアピールしていた。そして、昨年はついに中国漁船が海上保安庁の警備艇に攻撃までしかけてきたのである。これのいったいどこが、中国の「建前」なのだろうか。

    問題視すべきはまだある。彼が民間団体の日中友好協会の副会長(会長代理)を務めていたことだ。同協会は戦後、日本共産党によって設立され、国交正常化前から中国との間に深いパイプをもっていた。現会長は、これも中国べったりの加藤紘一元自民党幹事長である。

    佐藤氏はこれ以外に、河野洋平前衆議院議長が会長職にある国際貿易促進協会において、副会長(現在は顧問)のポストにいた。国際貿易促進協会は、日中友好協会と同様に、日本共産党が中国と友好貿易を通じて資金確保を目的にして設立した左派系の親中国団体であり、日中友好協会と同じ日本共産党系列の組織である。

    退任後も中国政府の一連の反日的行動に理解を示す佐藤氏に対する中国からの評価は極めて高い


    ■「省益あって国益なし」

    続く第10代大使・谷野作太郎氏も、外務省を退任後は東芝の取締役に就任。中国ビジネスに社運をかける民間企業への天下りという点では、歴代の大使との間に大きな違いはなかった。

    「チャイナスクール」という名称を一躍有名にしたのが、第11代大使・阿南惟茂大使である。阿南氏の一連の発言を紹介するだけで、「省益あって国益なし」の感を深くする

    阿南氏は、中国経済の発展をレポートした大使館スタッフの論文に「こんなものを表に出せば、ODA反対論に火がつく」と公開を禁じ、小泉政権のODA中止の意向にも一貫して反対の姿勢を取り続けた。

    また、アジア局長時代には記者懇談の席で、「北朝鮮の日本人拉致は証拠がない。亡命者は何を言うかわからない」と大暴言を吐き、瀋陽のハンミちゃん一家亡命事件では、「脱北者は追い払え」と館員に命令したことでも知られている。

    彼が天下った企業は新日本製鐵であった。新日鐵と中国の関係は深く、同社の首脳は財界の総本山である経団連のトップにたびたび就任、さらに日中国交回復後は対中経済ロビー「日中経済協会」を設立し、初代会長には当時の経団連会長であり、新日鐵社長でもあった稲山嘉寛氏が就任した。

    1978年4月、新日鐵は中国技術進口総公司との間で、上海の宝山に最新鋭の大規模製鐵所を建設することに合意した。だがその直後に、中国側は財政難を理由に契約のキャンセルを続出させ、81年にはついに1期工事の延期と2期工事の中止に至った。

    石油化学分野でもプラント破棄の動きがひろがり、これに危機感を強めた新日鐵首脳は時の大平首相に泣きつくことになる。その結果、政府は公的資金で中国へのプラント建設の資金提供に踏み切ったのである。金額は3千億円、これは1979年にスタートした第1次ODAの総額に等しい


    ■チャイナスクールのドン

    話を阿南元大使に戻そう。「チャイナスクールのドン」と呼ばれ、引退後は新日鐵で第2の人生を謳歌しているとばかり思われていた阿南氏だが、実は彼はすでに、外交の表舞台に「復権」を果たしている。内外の批判の嵐が収まるのを待っていたかのように、彼は現在、外務省系列の団体・国際交流基金の「日中交流センター」の所長と外務省の対中外交諮問機関「新日中友好21世紀委員会」のメンバーとなって、正式に古巣の外務省に帰ってきている

    21世紀委員会は、チャイナスクールの巣窟(そうくつ)のようなところである。現在の座長は東芝相談役の西室泰三氏。

    メンバーには宇宙飛行士の毛利衛氏、作家の浅田次郎氏らの名前が見えるが、実際に中国との人脈や経験があるのは阿南氏だけであり、彼が事実上の座長である。

    一方、委員会の中国側座長は唐家セン中国元外相で、彼は田中眞紀子元外相に「首相の靖国神社参拝反対を厳命」した人物としても知られている。唐元外相と阿南氏は以前からことのほか仲がよく、小泉外交を天敵のように受け止めている点でも、ふたりは互いに「同志」的関係にある。

    6月24日付の産経新聞に、「対中ODAを継続すべきか否か」と題して行われた筆者との対談で、「中国は大国だが、それでも日本は援助すべき」などと発言をした高原明生東大教授も、実はこの21世紀委員会のメンバーであり、委員会では旧知の阿南氏と極めて良好である(ちなみに援助反対は98%)。

    なんのことはない、高原氏が紙面で散々振りまいたODA継続論とは、援助という利権を手放したくない外務省の本音を代弁しただけの代物なのである。

    日本=阿南、中国=唐家センという人事布陣は、悪化した日中関係を夢よもう一度、とばかり「回復」させようという目的がある。一例が、ODA継続どころか増大プランである

    続く第12代大使・宮本雄二氏は民間ではなく、現在、外務省の顧問も務めているが、同時に中国との戦略的互恵関係を名目にする対中迎合的な団体「日本日中関係学会」の会長でもある。

    (中略)

    長々と歴代大使の所業を振り返ってみたが、結局のところ、彼らが行ってきたのは、私的利益、ビジネス第一の外交だった。そこには、いまや富国から強兵に向かわんとする13億の隣国への警戒感は存在しない。

    2011年廃止論もあったODAも、わずか7.6%削減されただけで、42億5千万円もの援助継続が決まった。理由は「中国に謝ったメッセージを送る可能性がある」からだった。だが、日本国民はすでに気づいている。そうした「外務省の認識こそが、中国に謝ったメッセージを送るもの」だということを。


    ここまで**


    初の民間中国大使として話題になった丹羽宇一郎氏が就任して約1年。
    就任直前に発生した中国漁船の尖閣諸島不法侵入事件への対応は最大の不手際。中国側に5回も呼び出され、うち1回は深夜であったにもかかわらず、この男はまともな抗議ひとつしなかった。

    事件後は、たびたび中国向けODAの継続を主張し続けた。「これ以上、両国の関係を悪くしてはいけない」という理由で。「関係が悪くなってまずいのはお前だろ」と思ったのは私だけではないでしょう。

    丹羽氏は赴任前、いくつかのマスコミのインタビューで、「中国経済と日本経済は運命共同体。2012年までには韓国を加えてFTA(自由貿易協定)締結にむけて事務レベルの合意を図りたい」と繰り返し抜かしたそうだ。この男には、深刻化する尖閣諸島問題や南シナ海の領海紛争、さらに増強される中国の軍備などが、日本の安全保障の脅威になっているという危機感も警戒心もないということがわかります。

    ※現中国大使についての詳細は、過去記事:『売国大使 丹羽宇一郎の大罪【WiLL】より』
    をご覧くださいませ。


    ところで、「民間」出身大使ってどうだったのでしょう。

    「新聞もテレビも表面的なことしか言っていない。実際は、うちだけではなく、丹羽さんの就任を本音で歓迎しているところなんてないですよ。中国で長年ビジネスをしていると、肝を冷やすようなことは日常です。いきなり理由や説明もなく、中国人労働者派遣の契約が破棄されることなんて珍しくもない。トラブルの種はいくらでもあります。

    そうした場合、私たちは日本大使館に足を運んで対応を相談することになるのですが、仮にそうなると当然、大使館の人間には当社のビジネス内容や抱えているトラブルが、ほぼ100%伝わることになる。つまり、この間までライバルだった伊藤忠商事のトップにいた丹羽宇一郎氏に、弊社の隠しておきたい企業秘密までがすべて明らかになるのです」(ある総合商社の元中国駐在員)

    なるほど、中国大使が「スパイ」的存在になりかねないってことですよね。


    参考
    青木直人氏ブログ
    http://aoki.trycomp.com/

    青木直人〜動画保管庫(国民が知らない反日の実態より)
    http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/542.html
    ※消されてしまっている動画もありますが、残っている動画をぜひご覧くださいませ。

    青木直人:DVD Vol.12「中国共産党の対日芸能人工作」
    2010年12月5日、岡山で行われた講演会。この講演会は中国共産党が日中国交樹立以後、日本の俳優や歌手、文化人に対してどんな工作を行ってきたのかを紹介したもので­す。
    http://youtu.be/jSf1abpEU40

    NLChina さんが 2011/01/15 にアップロード (その他の青木直人さんの動画がアップされていますのでぜひご覧ください)なお、DVD収録は約2時間です。詳細は、http://aoki.trycomp.com/NL/dvd.html で。






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