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    私たちが語り継いでいくべき真実〜沈黙の世代「大正日本人」たちの偉大な生き様

    未来に語り継ぎたい日本の歴史 comments(3) trackbacks(0) まったけの嫁

    兵士たちがどんな思いで戦地に立っていたのか。
    彼らは何を後世に遺そうとしたのか。
    私たちには、世代を超えて語り継いでいかなければならない「歴史」があります。

     
    【正論】9月号より

    沈黙の世代「大正日本人」たちの偉大な生き様
    門田隆将
    ノンフィクション作家 門田隆将(かどたりゅうしょう)


    ■真実に迫りたい

    −『太平洋戦争 最後の証言』の三部作(「零戦・特攻編」「陸軍玉砕編」「大和沈没編」、いずれも小学館)が完結しました。激しい戦闘シーンの描写が多く、3冊を通して読んで寝られなくなりました。

    門田:「大和沈没編」では、大和の沖縄特攻(昭和20年4月7日)時の米軍機との死闘についての証言も数多く紹介しましたが、高角砲を受け持っていた坪井平二さんの話は、第一波の攻撃だけで219機が襲いかかってきた戦いの凄まじさをよく物語っていました。当たる当たらないは関係ない、撃って撃って、撃ちまくって、音を出していないと発狂していただろうと。

    −どの証言も、光景が目に浮かぶようでした。

    門田:三部作あわせて、最前線で戦った百数十人に取材しましたが、彼らの記憶の鮮明さには驚きました。終戦から67年が経って、時系列が多少あやふやになっていた方もいました。しかし、個々の戦闘場面や光景は、皆さんはっきりと覚えておられましたね。あまりに強烈な体験というのは、どれだけ時間が経っても忘れられないものだということがよく分かりました。

    −「大和沈没編」では、大和が沈没した瞬間からの描写にも力が入っていました。

    門田:沖縄特攻で大和に乗り込んだ3332人のうち、生存者は276人です。10人に1人も生き残れたいないわけですから、運のいい人たちだけれど、なぜ助かったのかが分からない。助かった人の多くも、大和の沈没で生じた巨大な渦に巻き込まれて、海中深くに引きずり込まれた。そこで気を失い、気がついたら海面に浮いていたというんですね。

    今回の取材で分かったことは、助かった人は大和の内部で起きた巨大な爆発で生じた爆風というか、圧力によって海面に吹き上げられていたということです。鶴谷游健さんという人は「火の玉によって打ち上げられた」と証言しました。「30〜40センチの黄色い火の玉が自分のほうに向かってブワーッと飛んできて、そこで意識不明のようになったら、ポッと海面に上がっていた」と、鶴谷さんの記憶が、いちばん明確でした。一方で、あまりの爆風の衝撃で死んだ人も多かったようですが。

    −そうして奇跡的に助かりながらも、海上を漂っているうちに米軍機に機銃掃射されて亡くなった人もいた。漂流している兵を狙うのは国際法違反ですよね。

    門田:レイテ沖海戦では、大和など日本側の艦隊が米の護衛空母を沈没させます。唯一の戦果とも言えるわけですが、漂流する護衛空母の乗組員たちに向けて大和から機銃を撃った人がいて、それを能村次郎副長が「撃つなー」と止めたという証言も紹介しました。戦場とは殺戮の現場であって、人間を狂気にさせます。きれい事の世界ではないですね。

    最たるものが非戦闘員のうえに原爆を2発も落として、都市の市民を焼き尽くしたアメリカの空爆でしょう。これはアメリカだけがひどいのかというとそうでもない。「零戦・特攻編」では、日本が二百何十回も繰り返した重慶爆撃に参加した人の証言も得ました。市内は揚子江を挟んで外国人の居住地域と、中国人しか住んでない地域とが分かれていた。その中国人のエリアを、それこそなめ尽くすように爆撃した。ヨーロッパ戦線でも空襲で市民が大量に死んでいます。

    戦争とはそういうもので、戦争という手段に立ち入った瞬間に、双方とも殺さなければ殺されるという狂気の世界に入るわけですよね。だから戦争を「悪」だというのであれば、双方が「悪」でした。にもかかわらず、日本や日本軍だけが「悪」だったという捉え方、イデオロギーを一方的にアメリカに押し付けられ、それから未だに逃れられてないのはおかしいと思いますね。このシリーズは、そうしたイデオロギーからの視点で歴史を見るのはもうやめよう、真実を見ていこうという思いで取材、執筆しました。

    −真実を見るというと

    門田:当事者たちの証言に立ち返ることです。太平洋戦争を戦った日本軍の主力は大正生まれの若者でした。大正生まれの男子は1348万人いて、そのうち200万人が戦死した。1世代が7人に1人もの割合で戦死するというのは、戦国時代にもなかったことです。この人たち、要するに昭和20年時点で19歳から33歳だった大正生まれの若者たちは、どういう思いで彼らが戦争に参加し、どういう思いで死んでいったのか。そして、どういう運命で生き残ったのか。その人たちの思いを丹念に一人一人拾っていきたかったのです。

    取材をしていて、私は非常に感動することが多かった。みな家族をすごく愛していて、情に満ちた人たちだったということです。

    −肉親との最後の別れを意識した場面も多く描かれていますね

    門田:胸がつまりました。何人もの人が親との分かれの場面で「振り返ったらダメになると思った」というんですね。「お袋に走りよってしまい、そのまま(部隊に)戻れなくなるんじゃないか」と。そして、もう家には帰ってこられないと思っているから、「行ってきます」とは言えない。「行きます」という言葉になったと。

    −先ほどの坪井さんは、最後は言葉が出ず、手旗信号で「行ってきます」と伝えたと証言しています。

    門田:言うと涙がこぼれる。言えない。だから手旗でやるんですよね。そうやってみんな死んでいった。

    彼らは「軍国主義に洗脳されていたのだ」と戦後の評論家や歴史家は言います。しかし、そんな一言で片付けられるようなものでは決してない。国民学校や中等学校で軍事教練を受け、そのまま入隊した人と、高等教育を受けて学徒出陣した人の間でも、意識はまったく違います。学徒出陣した人たちの中には、「天皇陛下万歳!」といって特攻した人はほとんどいません。中には、「俺は、『皇后陛下万歳!』と言って特攻してやるよ」というような話をする人もいたわけです。

    戦争でも、歴史でも、型にはめて考えたり、類型化してみたりすると分かりやすいし、深く考えなくて済みます。GHQに植え付けられ、左翼陣営が大々的に宣伝して浸透した単純な日本・日本軍悪玉論が、戦後日本を覆い尽くし、そういう見方しかできなくなっています。

    いちばん問題なのは、マスコミです。ジャーナリストが自己陶酔している。「戦争は『悪』だ。自分はその戦争を憎み、平和を愛する人間だ」と。もちろん戦争は「悪」だけれども、戦っている双方とも「悪」であるということを忘れてしまっている。そうして、日本軍の「悪」だけを殊更に強調する。自分は良い立ち位置にいると思い込んで、自己陶酔しているから、違った意見は耳に入らない。日本・日本軍悪玉論を言わない人たちは右翼だと非難する。そういうジャーナリストが多くなって、大正生まれの人たちを単に侵略者や犯罪者のように見てしまう。

    「事実であって真実でない」という報道があります。ある戦争ドキュメンタリー番組で、「自分は村民を殺してしまった。今、自分の家族にそういうことをやられたと考えると、両親の呵責に耐えかねる」と涙を流す元兵士たちを取り上げていました。ずっと重荷を背負ってきたのだろうなと思いながら私も見ましたが、実はその編集の仕方にも問題がある。

    日米両軍の正規軍同士による最大の先頭はフィリピンにおける戦いで、日本軍は50万人近くが死にました。日本軍にとっての敵は米軍だけではありませんでした。ゲリラです。行軍途中にマラリアによる高熱や飢えで脱落すると、ゲリラによる惨殺が待っていた。だからゲリラの掃討戦も苛烈を極めた。ゲリラの支援村もありましたから、老兵が証言したような悲劇も起きたわけです。

    本来ならこんなナレーションを入れないといけないはずです。「フィリピンでの戦いは、米軍だけでなくゲリラとの戦いでもあった」「行軍から脱落することは”虐殺される”ことを意味していた」。そして「そのゲリラを掃討する戦いの中で悲劇が生まれた」と。この説明がなければ、日本軍はフィリピンに村民を虐殺しに行ったかのような印象を視聴者に与えてしまいます。悲劇が起きたのは事実であっても、番組は真実を伝えてはいません。しかし、作り手はいい番組を作ったという陶酔感に浸っている。それも、この戦後の流れの中にをった安易な番組づくりということになりますよね。


    ■恥を知る世代の強さ

    −社会で大手を振るっている「正義」というものを、眉に唾をつけて見る新潮ジャーナリズムを担ってこられた門田さんらしい分析です。

    門田:あの戦争は、帝国主義時代にあって必然ともいうべきものだったかもしれません。黄禍論、英米の対日圧迫政策、ソ連の脅威。もちろん、日本にも誤りがありましたが、それにしても、「日本がすべて悪かった」としたのでは、歴史の真実は見えてきません。

    大正生まれの若者が戦って200万人も死んだ結果、アジア各国は戦後独立し、1960年のアフリカ諸国の一斉独立につながった。さらにはアメリカの公民権運動にもつながって、キング牧師の暗殺など大きな犠牲を払いながらも、今では黒人の大統領オバマ大統領が誕生している。これが歴史の客観的な事実です。しかし、日本人が、大きな犠牲を払って成し遂げた歴史的な事実をも自ら封じ込んできました。

    大正生まれの人たちは、他人のために生きた世代です。家族や同胞を守るために戦い、戦後はコツコツと、黙々と働き続けて日本を復興させ、高度経済成長を成し遂げた。そんな男たちを貶めて、彼らが歩んだ歴史を軽んじてきた。その結果、国にも先人にも誇りを抱けず、自分のためだけに生きる人間ばかりになってしまった。権利ばかりを主張し、安易に癒やしを求める人たちです。

    バブルが崩壊して日本がダメになったといわれるけれど、それは違う。終戦のとき20歳だった人は、昭和の終わりには64歳になっていました。つまり大正世代が昭和の終わりとともに社会の第1線を退いた。その後の日本の混迷は顕著です。自分のためだけに生きる世代が社会を動かすようになってしまったからです。このままでは、「失われた20年」は30年でも50年でも続くでしょう。この流れをどこかでストップして、本来の日本人に戻らなければいけない。そのために何が必要かと考えて、他人のために生きて、世界の礎になって死んでいった人たちの証言を残すことが重要だという思いもありました。

    この三部作は、信念と情愛と使命感、気迫、責任感、さまざまなものを持ち、ひたすら突き進んでいった男たちの物語です。何より彼らは、「恥」を知る世代です。ルース・ベネディクトは『菊と刀』で、欧米は「罪」の文化であるのに対し、日本は「恥」の文化だと書きました。まさにその通りで、明治生まれのお父さんやお母さんから徹底的に「恥を知れ」と叩き込まれた。彼らにとって、部隊全員で突撃するときに、「死にたくない」と膝を抱え塹壕で震えているということは「恥」であり、絶対にできなかった。だから、世界中の軍隊で、最も潔く突撃し、尻込みする兵が一番少ないのが日本軍でした。

    戦後は、その潔さ、勇敢ささえ、軍国主義教育のせいだと断罪されてきました。ではアメリカ陸軍史上で最強といわれ、数多くの勲章を受けた日系アメリカ人部隊「第442連隊戦闘団」はどうなのか。ヨーロッパ戦線に投入された彼らは死を恐れずに突撃を繰り返し、3800人の部隊の死傷率は300%を超えた。戦闘のたびに死傷者があとを絶たず、補充を繰り返すのです。彼らはアメリカ育ちで日本の軍国主義教育を受けてはいません。明治生まれの移民1世の親たちに「恥」を教え込まれていたからこその強さだったと思います。

    そんな大正世代の男たちが、戦争に敗れた後もひたすら働き続け、20世紀の奇跡といわれる高度経済成長を成し遂げた。そして今、去っていこうとしている。彼らのいきざまさえ思い出したら、日本はいつでも復活できると信じています。

    −この人たちの戦後編も読みたいですね

    門田:こんな世の中をどう思っているのかも、他人のために生きた世代の人たちに尋ねました。みんな「辛い」と言いましたよ。「なんのために戦ったのか」と言う人もいました。戦後の日本は、そんな大正世代を犯罪者、侵略者として扱ってきた。ひどいもんです。そうじゃないでしょう。ただ家族を守るため、同胞を守るために、凄まじい闘志で自分の命を投げ出していった男たちが、かつて、この国に本当にいたんです。

    −あの戦争で日本は無条件降伏したと言われていますけど、これもGHQの嘘で、本来は有条件降伏でした。たとえば、第1次、第2次両世界大戦の敗戦国で、「領土保全」の条件を得て休戦したのは日本だけです。政府も皇室も維持されました。日本軍のそれまでの決死の戦いぶりから、米軍側が本土侵攻などこれ以上戦えば莫大な損害が出ると恐れ、「有条件降伏」になった。その意味では、大正世代の戦いをまったくの無意味だったと否定するのも、日本軍を不当に貶める歴史観だと思います。三部作で彼らの激烈な戦いぶりを知ると、そのことが素直に納得できます。

    門田:それはよく分かりますね。補給もなく大量の餓死者を出して、悲惨な戦いの象徴のようにいわれるガダルカナル島では、日本軍は米軍にやられっぱなしだと思っていたら、実は仙台の第二師団の「青葉大隊」という部隊が敵陣を突破して、一時的とはいえルンガ飛行場の一部を奪い取っていました。この第7中隊の生き残りの阿部彰晤さんの証言によると、米軍の砲弾や銃弾が飛んできて石も土も岩も全てが砕け散り、身を隠すところもない中を、中隊長の石橋哲治中尉が「死ぬ時は皆と一緒だ」と自ら先頭に立って突撃していった。石橋中尉は、真っ暗な中、後に続く部下たちに見えやすいよう白い欅で背中にバッテン印をつくっていたそうです。

    阿部さんは当時20歳の初年兵でした。「怖くなかったのですか?」と尋ねたら、「怖かった」というんですね。しかし、石橋中尉の背中の欅だけを見て、「中隊長殿はまだ生きている」と突っ込んでいったそうです。そして遂に敵陣を突破した。米軍側は青葉大隊に恐れをなして敵陣から逃げ出していました。しかし、そこで部隊は孤立無援となり、涙ながらの撤退をしたんですが、青葉大隊のこの時の攻撃を、米軍側は「人類が未だ遭遇したことがないほど猛烈なものだった」と『海兵隊公刊戦史』に記しています。

    その勇猛果敢な部隊にも餓死者が相次ぎます。阿部さんが蔓(ツル)の樹液を水代わりに飲んでもらおうと、衰弱していた石橋中尉のところに持っていったら、一口だけ飲んで、「あとは弱っている兵たちにあげてくれ」と言われたそうです。昭和17年11月2日に石橋中尉は戦死しましたが、その約10日前、足を負傷していた阿部さんに「後方へ下がって早く傷を治し、また戦線に復帰しなさい」と命令したそうです。阿部さんが「攻撃に連れていってください。這ってでも参加します」と頼んでも、「これは中隊長命令である」と拒否されたそうです。そうして阿部さんの命を助けてくれたんですね。

    「私の命が助かったのは、石橋中隊長のお陰です」と言う阿部さんに、「いま石橋さんに言いたいことは」と尋ねたら、涙が溢れて、その後は取材になりませんでした。「すごい」と思いましたね。こんな優しい人たちが、圧倒的な火力を誇る米軍の陣地を突破したんだと。


    ■最大の遺産

    −このままでは、大正世代の犠牲が報われません

    門田:大和で生き残った高角砲の亀山利一さんは、呉の鎮守府に戻って残務処理をしたときの話を教えてくれました。大和が沖縄に向けて出撃する前日の4月6日、最後の荷物が陸に行くのにあわせて、乗組員たちが家族に手紙を書いた。その返事が呉鎮守府に届いていた。お金などが入っていないかチェックをするため開封していくと、手紙には「夕べ、靴音がとんとしたで戻ったかと思ったら、そうやなかった」「夢ん中であんたが帰ってきたところをみた」といったような内容ばかりが書かれていたそうです。亀山さんは、亡くなった戦友たちの肉体は滅んだけども、魂は愛する人のもとに無事帰っていったことを知ったと話してくれましたが、私もこの話には本当に安堵しましたね。

    −なぜ大正世代の生きざまは忘れられたのでしょう

    門田:それが戦争に負けるということなのかもしれません。敗戦で日本人の価値観が変えられてしまい、大正生まれの人たちが親から受け継いだことを、子供たちに継承させられなかった。彼らの子どもの団塊の世代は、反権力、反国家、反権威の全共闘世代となり、「親父は古い」と大正世代の生きざまの継承を拒否した。団塊の世代の罪は大きいと思いますね。

    −大正世代の人たち自身も、語ろうとしなかった印象があります

    門田:語らせてもらえなかったし、語ることもできなかったんだと思います。大和の主砲にいた滝本保男さんという人を今回取材しましたが、彼もこれまで戦争については話したことがなかったそうです。息子さんは「なんでおまえだけ生き残ったのか」と言われた経験があるからではないかと想像していました。死んだ乗組員の遺族に最期の様子を伝えに行き、感情的な言葉を浴びせられたそうです。しかも敗戦した途端に、世の中は、自分たちの存在自体を悪であるかのように否定し始めた。そうやって、大正生まれの人たちは戦争を語らなくなったんです。

    では、なぜ彼らが私の取材に答えてくれたのか。90歳前後になって、自分が生き残ってきた意味というものを考えてくれたからだと私は思っています。仲間は全部死んでいった。しかし、戦後67年が経っても自分はまだ生き残っている。なぜ自分は生き残っているのかと考えたとき、「自分が証言を残さなければならない」「亡くなった戦友たちの思いを伝えたい」という思いに駆られたのではないでしょうか。滝本さんは、取材から3ヵ月後に亡くなりました。私の取材に応じたあと、「自分の役割が一つ終わった」という感じで、すごくホッとしたご様子だったそうです。

    −『大和沈没編』の帯には、「なぜ大和は『日本人の希望』であり続けるのか」とあります。その答として、「日本を救うために、誰かが何かをやらなけれなならない時に、大和をつくった人たちがいる。そして、乗組員たちも誇りを持って大和に乗り、一丸となって戦った。それが、希望なんです」という現代の若者の言葉が「はじめに」(前書き)に出てきます。

    門田:沖縄を助けるために3千人を超える人たちが大和に乗り込み、一丸となって死に向かって突き進んでいった。日本人が、自分のためではなく、他人のため、家族のため、沖縄のため、国のために命を投げ出そうとした物語です。すごいことです。他人のために生きた世代の、そのままの行動だと思います。

    実は、「はじめに」で紹介したコメントを言った若者は、息子なんですよ。

    −えっ、そうなんですか。お幾つですか?

    門田:いま高校2年生です。「大和沈没編」の締め切りが迫って、「はじめに」で悩んでいるときに、彼と大和の話をしました。私が「大和と武蔵を造らなければ、飛行機ををれぞれ千機、あわせて2千機つくれたんだよ」と言うと、息子が「お父さん、飛行機を2千機つくってもアメリカには負けるよ」と返してきた。そして、「大和は日本人にとって希望であり、誇りだと思う」と言ったんです。「アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌は知ってる?歌詞の『さらば地球よ〜』の”地球”を”日本”に、『イスカンダルへ 運命背負い今飛び立つ』の”イスカンダル"を"沖縄”に替えて歌えば、それが分かるよ」と。

    -「宇宙戦艦ヤマト」原作者の松本零士さんは、かつて弊誌でこう語っています。「今、惰眠を貪っているように見えるこの国が、それでもさほど世界から侮りを受けずに済んでいるのは、戦争末期の非情悲惨な状況下、究極の奮闘死闘を繰り広げて、その”命と死”をもって立ち向かった数多の戦士たち、日本史上最期のサムライの記憶と残像が、辛うじて面目を支えてくれるのだと信じている」と。平成12年6月号ですから、12年前のコメントです。今もその「面目」が日本に残っているか極めて怪しいですが、息子さんは、松本さんが「ヤマト」に込めた思いをしっかりと受け止めていますね。

    門田:乗組員たちの生きざまは別として、「大和」の建造は「昭和の三大バカ査定」などと言われ、私自身もそれを否定していませんでした。しかし息子の言葉を聞いて、逆に日本人があの戦争で後世に残した最大の遺産だったかもしれないと思うようになりました。

    (聞き手 本誌・小島新一)



    太平洋戦争 最後の証言(全巻一覧) 
    著/門田隆将
    門田隆将オフィシャルサイトはこちら

    第一部 零戦・特攻編(発売日 12/04/19)  

    あの戦争とは何だったのか
    1000万人もの若者が戦場に投入され、戦死者が230万人に達した歴史上、未曾有の悲劇。直接の体験を語ることができる人は少なくなり、日本人が戦争を考える機会は次第に失われている。

    非業の死を遂げた兵士たちは、今も人々の記憶にとどまっているのか。
    その思いや無念は理解されているのか。

    <私は個人の「体験」に耳を傾け続けた。それは、気の遠くなるような年月を経た出来事なのに、ご高齢とは思えない驚くべき詳細な記憶によって、私の目の前で次々と再現されていった。私は、その証言に触れながら、「人は二度死ぬ」という言葉を思い出していた。

    一度目は文字通りの「肉体の死」であり、二度目は人の心の中で生き続け、誰からも忘れ去られた時に、今度は「永遠の死を迎える」というものである。(中略)私は、彼らを「二度死なせる」ことはあってはならないと思う一人だ
    (「はじめに」より)。
     
    2011年は太平洋戦争開戦70周年、そして大正100年に当たります。太平洋戦争は大正生まれの若者の戦争でした。大正に生を受けた男子の15パーセントが戦争で命を落としました。生き残った青年たちはその後、がむしゃらに働き、奇跡の復興を成し遂げます。

    平成の混迷が続く日本。先達の体験、言葉に学ぶものはきっと多いはずです。圧倒的なスケールで描き出す戦争ノンフィクションの決定版、語り継がれるべき物語がここにあります。(編集者からのおすすめ情報より)

    ****

    第二部 玉砕の戦場 刻まれた記憶編(発売日 11/12/15)  

    ガダルカナル、ニューギニア、インパール、サイパン、レイテ島、ルソン島、硫黄島、沖縄、そして占守島。圧倒的な火力を誇る米軍と激戦を展開した日本軍は、各地で玉砕を繰り返した。太平洋戦争(大東亜戦争)で、陸軍の戦死者は全体の77パーセント、およそ165万人に及んでいる。

    不意に襲う砲弾は容赦なく兵士の身体を切り裂いた。髪が抜けやがて歯が抜ける極限の飢え、鼻腔をつく屍臭。生きるためには敵兵の血肉をすすることすら余儀なくされた。70年前に刻まれた記憶――門田隆将氏が100人を超える元兵士を全国に訪ね、記録する。

    <私は、玉砕の戦場から生還した元兵士たちに「なぜあなたは生き残れたのですか」と問いつづけた。誰もがその問いに、「それは運命としか考えられない」と答えた。

    私はその言葉を聞きながら、彼らの証言は、戦死した二百万人を超える兵たちが生き残った戦友の口を借りて、私に「遺言」を託しているものなのではないか、と思った
    (はじめにより)

    気鋭のノンフィクション作家・門田隆将氏の綿密な取材と精緻な筆致により、極限の戦場が臨場感をもって忠実に再現されています。国家や平和を考える上でも避けては通れない、私たちが語り継いでいくべき真実がここにあります。(編集者からのおすすめ情報より)

    *****

    第三部 大和沈没編(発売日 11/08/04)

    消されることのない歴史
    全長263メートル、横幅38・9メートル、最大排水量7万2000トン。「大和が沈む時は、帝国が沈む時」と謳われた巨艦は、昭和20年4月7日午後2時23分、無謀とも思える沖縄への水上特攻作戦の末に、東シナ海で永遠の眠りについた。

    乗り込んでいた3332人のうち戦死者は3056人。生還したのは1割にも満たないわずか276人に過ぎなかった。作戦参謀、設計者、主砲や高角砲、そして機銃を担当した乗組員ら多数の証言から、戦艦大和の実像を浮き彫りにする。

    盃を汲みかわした出撃前夜、米軍の熾烈を極める波状攻撃に地獄の様相を呈する甲板。沈みゆく艦橋で吸った恩賜の煙草、渦を巻く白波。重油の浮く海での漂流、そして奇跡の生還――。

    <戦艦大和の悲劇的な生涯は、日本海軍の運命を象徴するものでもあった。
    『太平洋戦争 最後の証言』の完結編として戦艦大和を取り上げさせてもらったのは、失われつつある日本人の希望と誇りをもう一度、振り返って欲しかったからである。

    人は、日本の時代は「終わった」という。経済に勢いがなくなり、社会にかつての活力がなくなったと言われる。しかし、日本人は、あの時代に「戦艦大和」をつくりあげた。日本人が存在するかぎり、それは消されることのない歴史である。そして、この大和に乗って愛する者たちのために命をかけて戦った人々がいた。そこには、今まで語られたことのない知られざる壮烈な物語が数多くあった
    (「はじめに」より)


    ****

    私の父も、大正生まれです。
    「人に迷惑をかけるな!」が口癖でした。

    赤紙を受け取っていたけれど、出陣間近に終戦を迎えたと母から聞いたことがあります。
    父もだんだん、戦争のことは話さなくなりました。
    「何か、話したらあかんみたいな気がして・・・。」って。

    がんこで偏屈な父とは犬猿の仲でありますが、
    88歳になる父ともっともっと話しておかないと後悔しそう・・・。

    贅沢など一切せず、ただただ一生懸命に生きてきた父を誇りに思います。



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        "紅の傭兵"参考人招致、実現すれば非常に良い事だと思います。
        http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-4903.html

        • 脱亜希望さん
        • 2012/08/28 9:17 AM

        見つけました。

        拡散願い
        竹島が日本の領土であると言うマッカーサーからの電報
        http://staff.texas-daddy.com/?eid=375

        ダグラス・マッカーサー2世から在日本米国大使館へ送られた竹島関連の電文(日本語対訳)
        http://texas-daddy.com/DouglasMacArthur-Telegram.pdf

        どんどん拡散してあいつらを追い込みましょう!
        2012/08/26(日) 10:02:09 | URL | 名前欄に名前書こう #- [ 編集 ]

        • すずめさん
        • 2012/08/27 12:12 AM

        朝鮮人復讐法案「人権侵害救済法案
        http://quasimoto.exblog.jp/18711174/

        お前ら糞日本人に一生地獄の生活を見せてやるよ!

        【国政に対する要請書】はこちらからどうぞ。
        http://www.aixin.jp/ysk.cgi

        この様な法案を国会に執拗に提出している政党の創価学会公明党の正体
        をしっかり見極めてください。 嘘の100回言えば本当になると信じ
        ている彼らは、この法案さえ通したら朝鮮人が日本民族を支配すること
        が出来ると考えているのです。 
        反日売国テレビ局・マスコミを支配して、多くの日本国民を騙して法案
        を成立させようとしています。  朝鮮人の政党民主党と公明党がこの
        法案の推進者であり国会議員の議席で過半数を持っていますので、早く
        今の国会を解散させて危険な状態を終わらせなければ成りません。

        【人権擁護法案反対の掲示板】
        http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj5.cgi
        【人権擁護法案反対タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

        • 愛信さん
        • 2012/08/25 3:16 PM
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