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    中国にとって、歴史とは「プロパガンダ」そのもの〜”人間の皮をかぶった鬼”にされた「撫順(ぶじゅん)収容所」の恐怖(歴史通8月号より)

    中国ってこんな国 comments(2) trackbacks(0) まったけの嫁

    シナという国は、こういう国、
    中国の”やり方”、知ってください。

    【歴史通7月号】より

    ”人間の皮をかぶった鬼”にされた「撫順(ぶじゅん)収容所」の恐怖
    ノンフィクション作家 高尾栄司氏著

    「1950年代以降、日本は経済的に中国を上回っていたけれども、中国は政治的には負けたことは一回もない」

    中国の要人は、ことあるごとにこう言っています。こうした発言の原点は「撫順」に始まっているのです。つまり、自分たちは日本人兵の捕虜=「天皇の軍隊」の洗脳に成功したという意味が含まれているのです。

    中国にとって、歴史とは「プロパガンダ」そのものといってよいのです。

    日本人は「歴史はファクト(事実)である」と信じていますが、中国人は自分たちにとって有利になるものなら詐話(つくりばなし)でもいい。いや、むしろ詐話でなければならない。

    それが中国の常識です。

    このことが分からない結果、日本人はいまだに自虐史観から抜け出せないままでいる。日本政府はいまでも中国・韓国に謝罪を続けています。

    ところが、そうなることに大きな役割を果たしたのが、実は中国からの帰還日本兵だったのです。彼らは自分たちが中国で学習した中国製の詐話を”事実”の「語り部」と化して日本に広めていった。

    しかし、その背後には<中国人工作員を何十万人送り込むよりも、日本人に証言させればもっとずっと大きな宣伝効果がある>という中国側の巧妙な仕掛けがあったのです。

    その謝罪活動を戦後一貫して積極的に行っていたのが中国帰還者連絡会(中帰連)という数百人からなる団体でした。

    私は、”謝罪”の原点を求め、中帰連の生存者を探してインタビューを行いました。中帰連は2002年に解散していましたが、
    撫順の奇跡を受け継ぐ会がこの後を継ぎ、今も活動を続けています。

    なぜ”奇跡”なのか?


    南京虐殺の原点がここに
    "奇跡”というのはアジア、いや世界最強の「天皇の軍隊」を改造できたことにほかなりません。969人もの捕虜を洗脳・改造した例は世界中、どこにもありません。だからこそ、中国共産党にとって政治的勝利であり、世界に誇る奇跡だといいたいのです。

    「撫順の奇跡を受け継ぐ会」は、日本人でありながら、これを中国共産党の歴史的事業として確定しようとしているのです。

    生存者たちにインタビューを重ねるにつれて、南京虐殺の際に必ず登場する話、妊婦の腹を割き赤ん坊を高く突き上げているー例の故アイリス・チャンが全米で吹きまくった詐話、これに類する話が撫順収容所にあるということも分かってきました。

    歴史の事実とは実に恐ろしいものです。その事実をありのまま読者に伝えたくて、私は『「天皇の軍隊」を改造せよ』(原書房) を出版したのです。

    敗戦後、「満州」には約170万人の日本人が取り残されていましたが、スターリンの命によって60万人を超える日本人がシベリアに連行され、強制労働をさせられたのです。抑留中に6万人が亡くなりましたが、残りの日本人捕虜たちは、数年後帰国の途につきました。

    ところが、それでもまだ残されている者たちがいたんです。その日本人たちは、ソ連にとって利用価値のある「重要な使命」を持っていた人物であったためです。毛沢東はそんな彼らに目をつけたのです。

    中国では毛沢東の中国共産党が政権を取ったとはいえ、まだ国民党勢力が滅したわけではなく、米国も欧州も国民党を支持していました。

    そこで、シベリアに残されていた「重要な使命」を持っていた日本人捕虜を中国に連行して、彼らを”人間改造”して、内外に利用しようとしたのです。

    中国共産党を友党としてきたソ連のスターリンは、毛沢東からの要請を受けて、日本帰還を待っていた日本人抑留者969名を中国に移送しました。


    「通化事件」の詐術
    しかし、こうして969名もの日本人捕虜を中国の撫順までわざわざ連行してきたものの、今度はこれほどの捕虜を人間改造できるような工作員がそこにはいなかった。そのため、皮肉にもただただ日々が過ぎていきました。
    その日本人捕虜たちが”人間改造”という謝罪の構造に組み入れられていくきっかけとなったのが「通化事件」でした。
    ※参考:通化事件に学ぶ国を失うことの過酷 / 通化事件−Wikipedia

    旧満州国の通化は北朝鮮との国境に近いところにある都市です。事件の起こった1946年当時、通化の日本人たちは日本が負けてしまったから、誰もが銀行預金をおろして家にしまっておいたのですが、そこに通化事件が起き、すべて八路軍(共産軍)に掠奪(りゃくだつ)されてしまったのです。
    ※参考:八路軍(はちろぐん・バーロぐん)-Wikipedia

    天皇陛下の命令だからといって、正直に武装解除してしまった陸軍がいけなかった。家族や自分の身を守るくらいの武器は最低限持っているべきなのに、大切な武器をそっくり差し出してしまった。その武器はそのまま八路軍の手に渡って、日本人に向けられたんですよ。お人好しも極まれりというべきでしょう。

    しかし、日本側もただ奪われているだけではなかった。赤十字病院の柴田久院長らが八路軍に対してクーデターを画策したんです。でも、情報が筒抜けだったため、作戦は失敗に終わり、通化の日本人は悪者にされ、成人男子全員が投獄されて、拷問を受けたのです。

    鳳城で降伏し、八路軍の空軍創立に協力させられていた林航空部隊も事件に巻き込まれ、ひどい虐待を受けました。その様子を林航空隊員の一人だった中西隆氏はこう語っています。

    「立たされたまま押し込められた監獄の中は、まるで満員電車のように立錐の余地もなく、ギューギューに詰め込まれ、小便をするのにも垂れ流しでまったく身動きがとれなかった。食事も与えられなかったので喉が渇いて、軒下のツララを皆で吸ったりした。餓死者が出た」

    民間人が混ざっているにもかかわらず、通化の日本人に対して窓や正面から無差別に銃撃まで行われ、硬直した死体が庭に転がるという悲惨な光景が何週間にもわたって繰り広げられたのです。

    2月という時期もあり凍死者も多く出て、結果、犠牲者は4千人以上になりました。中国共産党が日本人に行った最大の虐殺事件で、これが、「通化事件」です


    ”懇親会”という吊るし上げ
    そんな通化での地獄の体験をさせられた後、林航空部隊にはもう一つの地獄が待っていました。
    ”懇親会”という名の「吊るし上げ」ショーです。

    林航空部隊270名の航空隊集団を”改造”することを目的にしたもので、その使命を受けていたのは日本人工作員の「杉本一夫」という男以下、数名の日本人部下でした。彼らの命令で全員参加の”学習会”が開かれました。

    もともと林部隊は技術屋集団で、とくに思想的な背景はなかったのですが、事件の後からターゲットが決められ、「おまえはこんな反共的なふるまいをした」とか「中国人に対してこんな残虐なことをした」とか容赦ない吊るし上げが始まったのです。

    もし、こうした精神的拷問に批判や反対するような態度を示すと、ターゲットの仲間と目されて攻撃されてしまうので、そうならないためには加害者にならなければなかった。

    成果報告も要求されたので、焦る隊員たちは拷問から逃れるために、ありもしないことを言って、関係のない人間がターゲットにさせられることもしばしばあったのです。その”罪状”によって銃殺ショー見学が行われた。

    その結果、林部隊内には亀裂が生じるようになってしまったのです。

    この間に隊長の林は自分から進んで学習し、八路軍と、国民党軍や日本軍との根本的な違い、自分と日本軍国主義者との違いを「理解」するようになっていったといいます。そして、外国人である自分が、中国の大革命の時期に中国国民の解放戦争に参加でき、中国空軍創設に力を尽くすことが出来ることは、この上なく有意義だという考えが心の底にしっかりと根を下ろし、部下の学習にも力を貸すようになっていくんです。林航空部隊は、転変の道を歩んでいったのです。


    洗脳であり拷問
    中国人たちにとって、杉本以下数名で270人もの航空部隊を改造に導く様は予想外のことでした。まさしく「奇跡」だったでしょう。

    私は、世にも不思議な、日本人が日本人を改造したこの成功がなかったならば、もしかしたら、シベリアから969名の日本人捕虜が撫順に送られてくることもなかったかも知れないと考えています。

    見事に”改造”に成功した林航空隊に対するこの手法は毛沢東に高く評価され、撫順に伝わり、撫順の日本人捕虜969名の改造ー"坦白(たんぱい)”に使われることになったのです。

    坦白(たんぱい)とは中国共産党が使う独特の術語で、自分の過ちを暴露し自己批判することをいいます。それは洗脳であり、拷問ですので、完全に国際法に違反している。それにもかかわらず、日本人はこの拷問と洗脳の事実を全く知らないし、知ろうともしません。坦白とは実に巧妙に仕組まれた、恐ろしい人間改造法なのです。

    撫順管理所では、日本人捕虜たちは非常に優遇されました。

    「日本兵士に対しては、その傲慢な自尊心を侮辱することではなく、かれらの自尊心を理解してやり、これに逆らわずに、導いてやることである。捕虜を寛大に取り扱うというやり方で、日本の統治者らの反人民的侵略主義が理解されるよう、かれらを導いてやることである」

    毛沢東のこの言葉をもとに、おいしい料理が出され、おかわりも自由でした。スポーツをすることもでき、日本人捕虜たちはシベリアで受けた扱いとの違いに非常に驚いた。もちろん、これが人間改造の第一歩だったことは言うまでもありません。


    巧妙な誘導
    やがて、学習会が頻繁に開かれます。同じ資料を読んで、同じテーマで議論をする。そこで捕虜たちに共産主義を叩き込み、自分たちの罪を認識させるんです。でも、はじめは誰も罪を認めようとしなかった。当然です。自ら罪を認めてしまったら、どんな罰が待っているかわかりません。

    すると、「捕虜を寛大に取り扱うというやり方」のもと、認罪を拒む日本人捕虜たちに次のように問いかけて、説得を進めたんです。

    、あなたたちはわたしたち中国人に対して加害者であるが、あなたたち自身の立場からすれば被害者である。
    、なぜなら、この戦争を起こしたのは、あなたたちではない。もっと上の人である。
    、つまり、この戦争と起した者は、絶対にあなたたちではないことは分かっているので、たとえ認罪したとしても、あなたたちは絶対に死刑にはなりません。だから罪を認めなさい。
    、あなたたちが中国で罪を犯したのは事実であり、たとえ日本で裁判を受けたいと思っても、今は中国にいて、刑を受けなければならないのだから、この現実を受け入れ認罪をしなさい。

    こう誘導し”教育”していく中で、下士官たちは、自分の罪を認めるだけではなく、面と向かって上官を告発するようになります。それを中国人工作員が優しく慰めながら煽るんです。こうして徐々に人間改造が行われていきました。

    そしてある日をきっかけに、人間改造は大きく進展します。撫順に来て2年目、撫順管理所の孫所長が、館内放送で”認罪”を呼びかけたのです。「日本人捕虜は、全員が中国で戦争をし、罪を犯したからこそ、ここに入れられた。自分のやったことを外から見ればどうであるかを考えよ」と。捕虜だった国友俊太郎氏は当時の様子をこう語っています。

    「突然、所内放送で全員集合がかけられた。指示に従って中庭に整列すると、管理所の職員も全員が並んでいた。『宮崎弘という大尉が皆の前で認罪発表する。皆注意して聞くように』と孫所長が発表した」


    顔から血が引いて
    集まった捕虜たちの前で、壇上に現れた大尉の宮崎弘が村民百名を皆殺しにした事件を告白したんです。

    「私は部下を連れて部落に乱入し、逃げ遅れていた老人子供を銃剣で突き殺させました。その中には赤ん坊と腹の大きい妊婦もいました。妊婦は裸にして刺殺させて、その苦しむ姿を部下と一緒に見て笑っていたのです。私たちは白楊寺部落一体の中国農民を皆殺しにしたのです。ある者は焼き殺され、石臼で頭を割られて死んでいった老婆もいました。そればかりではありません。農民が粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)して作った穀物や家畜はすべて奪い去り、住民の家は一軒残らず火をつけて焼き払ったのです。

    捕えた農民を取り調べているうちに、柔道の手を使って何回も投げ飛ばし、首絞め技で絞殺しました。江南作戦のとき、捕虜にした少年兵士が煎った豆を手のひらにのせて私にくれるというのを叩き落し、殴り倒し、あげくの果てにその少年をたたき斬ったのであります」

    話すうちに顔は血が引いて青くなり、声はいつしか絶叫に変わり、涙と汗を流しながらも、宮崎はどこで、どんな罪を犯したか、一つ一つ詳細に告白しました。

    「私は人間の皮をかぶった鬼でした。今ここに中国人民にこころからお詫びします。この上はいかなる処罰でも受ける覚悟です」

    この宮崎の告白が大きな突破口となり、”坦白(たんぱい)大会”の始まりとなった。これ以降どんどん認罪する者が出てくるようになったのです。しかし、こうした坦白が出てきたのも、日本人たちが積極的に学習会を進めてきた成果でした。とはいえ、下士官と違って、将校はなかなか認罪しようとはしなかった。

    そこで今度は”やらせ”の坦白ー林航空部隊で成功した「吊るし上げ大会」が高級将官をターゲットにして始まるんです。

    その様子を捕虜だった田中魁は著書『法曹』のなかで次のように書いています。

    <取調が始って二箇月経過した頃、野外部隊の前の広場に、抑留者全員を集めて坦白(たんぱい)大会が行われた。壇上にはマイクを装置し、収容所長と政治指導員が壇上に席を占め、われわれ抑留者千名は広場に座り其周囲には取調官、書記、通訳合計二百名位が取囲むという物々しい雰囲気の中にその会は始められた>

    坦白の口火を切ったのは、戦犯の中でかなりの影響力をもっていた満州国国務院総務庁次官の古海忠之でした。後に撫順管理所長になった金源氏が、古海の坦白の様子を著書『奇縁』のなかで証言しています。

    <古海は何ら遠慮することなく淡々と自分の罪業を自白した。詳細に罪業を列挙した後、彼は台の上にひざまづいて涙を流し『私はとうてい許されるはずのない罪悪を犯しました。私は中国政府に対して私を極刑に処するよう要求します。私の罪業は千死万死でも償うことはできません!』と述べた。管理所の責任者は彼の誠実な自白態度を評価した。

    『過去は敵であったとはいえ、今、彼は武器を捨てて反抗せず、心から過去を悔いているのです。私たちは生きる道を示しているのです。これは中国共産党の一貫した政策です。今日の古海忠之は自白によって思想転換の重要な一歩を踏み出しました。私たちは全戦犯がみな古海のように自分の罪を自白し、寛大な処理を獲得するように希望します』>

    ただし、

    <古海が割合すらすらとやったところを見ると、事前に中国共産党当局と打ち合わせがあったのだろう>

    と田中魁は前出の著書の中で分析しています。

    こうして古海の自白がきっかけとなり、高級戦犯たちは自分の罪業を少しずつ話すようになりました。でしたが、もちろん、決して穏やかな方法で行われたわけではありません。

    中支方面に駐屯していた富士部隊の中隊長中尉の三輪敬一は、中支作戦時に行った民家の食料強奪、中国人俘虜の虐殺、軍刀による試し斬り、民家を焼き払った状況を事細かに告発しました。すると兵士たちが、上官の師団長陸軍中将佐々新之助に対して「佐々ッ、前に出ろッ」と叫んで、一時間以上にわたって直立不動で立たせながら罪状を告発し続けました。それからは、将官たちがかつての部下たちから指名告発されて、次々に演壇の下に立たされていきました。

    その日の光景を捕虜だった鵜野晋太郎氏は次のように記しています。


    異国で友を売る
    <佐々中将は、すでにかつての威風はなく、獄服をまとった姿は哀れであった。その時、一人の男が立ちあがって、何事か喚(わめ)いた。彼は半狂乱、否!半泣きの態度で叫んだ。『彼ら将官こそ、われわれを殺人鬼にした元凶である!われわれ下級軍人グループは徹底的に自らの罪行バクロの中からキサマたちを摘発粉砕する!』と泣きながら叫び続けていた>

    鵜野氏はこの告発を見て、寒々とした嫌悪感に襲われ、背中が逆撫でされるような感じになったと述べています。

    このように大勢で囲んで怒号を浴びせ、暴行さえ行われたようです。犯罪事実を知りもしないのに、ひたすら罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせて、相手を動揺させ、坦白させようとする。”異国で友を売る”ことに思い悩んだ末、自殺する者まで出ました。

    こうして、坦白大会はエスカレートし、日本人捕虜たちはどんどん人間改造されていったのです。それが他ならぬ日本人の手で行われることこそ中国共産党の狙いでした。彼らこそ捕虜の思想改造が国際法に違反する行為であることを認識していたため「洗脳は強要ではなく、あくまで日本人捕虜が、自発的に思想研究をやった結果である」ということにしたかったのです。

    日本人捕虜に対して行われた工作は、坦白大会だけではありません。”創作”も重要な工作の一つでした。

    その目的は、中国共産党の指導によって思想改造を遂げた日本人戦犯による反戦文学を世界に発表させたのです。捕虜だった田中魁は著書(『法曹』前出)のなかで工作員から受けた脅迫を次のように述べています。

    <テーマは過去の半生の体験を通じて、日本帝国主義社会の矛盾、日本帝国主義の残虐性を描写せよというにあった。書けないようでは、未だ真に自分の犯罪を自覚したとは言い難い。犯罪に対する自覚の無い者は帰国させるわけには行か無い、とこう迫ってくるのである>

    工作員の説得の仕方は巧みで、日本人捕虜が躊躇すると、工作員は、「その描写は事実でなくとも、作りものでいいから」と繰り返し言ったそうです。とにかく、日本人戦犯たちに創作文を書かせることが肝心だったからでしょう。


    光文社 神吉晴夫氏の役割
    このような「創作活動」と称する活動はおよそ半年続き、日本人捕虜たちが書かされた多くの作品の中から、優秀作品が選び出されました。これらをまとめた創作集が光文社の神吉(かんき)晴夫氏の目にとまり、『三光ー日本人の中国における戦争犯罪の告白』という題名で昭和32年3月10日に日本で出版され、数週間で5万部を売りつくすベストセラーになりました。

    「三光」は、一般の日本人読者には目新しい言葉であったので、「殺光・焼光・略光、これを三光という・殺しつくし、焼きつくし、奪いつくすことなり」という説明がつけられ、撫順で強制的に捕虜に創作させたものを”事実”として出版したのです。

    時を同じくして、同地で人間改造された"毛沢東の息子たち”になった日本人捕虜たちが一斉に帰国して工作をし始めていました。そんな彼らの活動と、『三光』のベストセラーが日本国内での「謝罪と暴露」事業の成功を決定づけました。

    撫順での洗脳にはじまる日本の謝罪の構図は、いまの北朝鮮、韓国にもおよんでいます。何故か?撫順で日本人捕虜を担当した工作員たちのほとんどが朝鮮族だからです。

    彼らの兄弟・親族は朝鮮半島に散らばって住んでおり、交流も日常的にあるので、日本人捕虜が改造された話は第一級の話題になって伝えられていて、彼らが日本に謝罪を求めてくる構図のもとはここにあるのです。

    このような現実を見れば李明博(イ・ミョンバク)から謝罪を求められた時、野田首相は逆にこのことを説明してやらなければならなかった。でも、首相だけでなく、外務省の役人、政治家も日本人全体がこのような歴史捏造の経緯を誰も知らないのです。


    周恩来「もう謝罪しないでいい」
    中国に進出している日本企業も洗脳の対象にされるでしょう。日本人にモノを作らせて中国共産党が儲けるという発想ですから、撫順で共産党がやったことと同じです。
    つまり日本企業は捕虜なので、いざ中国外へ工場を移転しようとすれば、全部置いていけとなり、反論したら「その態度は何だ、”謝罪”しろ」ということになる。まったく構図は同じです。

    法治なき人治の国だとはいうけれど、その人治の中心には毛沢東主義がある。毛沢東の言葉で有名なのが「革命は一人で起こせる」というものです。

    一発の銃声で虚構橋のようになるのです。シベリアでひどい扱いを受けていた日本人捕虜たちを歓待し、美味しい食事漬けにした。牡丹餅やら寿司やら、日本食をふるまい、海苔がないとなったら、大連まで行って仕入れてきた。それを二年間やってから、いよいよ人間改造を始める。日本人は人がいいし、恩を受けたら何か報いなければならないと考える。今も昔も優待政策は中国共産党の一つのやり方なのです。

    そうして油断していると、突然全員集合の放送が流れ、「これから坦白大会だ」「謝罪せよ」ということになる。

    でも日本人は誰も知っていませんが、実はその「謝罪」をやめるように周恩来みずから指示を出していたのです。日中国交正常化の直前に、中帰連の中心メンバーの藤田茂、国友俊太郎らが中国を訪問し、その席で周恩来は藤田にこう提案したそうです。

    「日本にお帰りになったら、あの大東亜戦争の実行されたありのままの戦史をつくらなければいけません。先だって田中首相との国交回復の共同声明を発表しましたが紙の上の約束です。本当の国交回復、友好には永い年月がかかります。私も歳です」

    その後で周恩来は謝罪問題に言及した。その瞬間を今でも中帰連創設者の国友氏は鮮明に記憶しているそうです。彼は、私に、言い残すようにこう語ったのです。

    「私は直接聞いているのです。藤田さんと一緒に行ったとき、周総理は人民大会堂で、『認罪はもうしないでくれ、謝罪もしなくてよい』とはっきり言いました。『いつまでも過去のことを話していては前に進みません。これからはもっと前向きなテーマを選んで、それを活動方針にしたらどうでしょう』」

    周恩来は、中国共産党対日工作幹部や軍関係者が同席する前で、謝罪運動に幕を下ろすよう指示を出した。

    しかし、藤田ら中帰連は謝罪一筋でやってきていましたから、会員や報道メディアに「謝罪運動はしないでほしいといわれた」とはとても言えなかった。そのため周恩来の謝罪発言はタブーになってしまったんです。

    「革命は一人で起こせる」という毛沢東の言葉どおり、彼らのたった一言の告白で日本の謝罪の歴史も、今の中国や韓国との関係も決定的に変わっていたはずなのにです。

    中国側から与えられた機会を、愚かにも自分たちの保身のために日本人自身が揉み消してしまった。これが、現在まで続く謝罪の原点です。

    日本人はのほほんとしている場合ではありません。中国共産党は周恩来の謝罪発言を無視し、「これだったら日本を狙えるぞ」と現実に動き出している。

    いま日本に中国人は70万人いるらしいですが、その中には中国共産党の”細胞”もいます。共産党の号令一下、彼らが一斉蜂起することもありえます。中国人の恐ろしさは歴史がいやというほど教えてくれているというのに、外国人参政権を与えようという脳天気な政治家が日本にいます。

    いま、日本が危ない状況にあるということを日本人ははっきり認識すべきです。


    ここまで**

    中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連)
    http://youtu.be/RAdq0kAn24o


    参考文献
    「天皇の軍隊」を改造せよ―毛沢東の隠された息子たち
    高尾 栄司【著】原書房
    (2012/02/10 出版)
    http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4562047763.html 




     
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        追記

        以下、インターネット上に掲載されている動画です。ただ今、徐々に見ているところです。

        見ていて大変辛いのですが、当時の貴重な映像がふんだんに公開されています。

        『認罪〜中国撫順戦犯管理所の6年 』NHKドキュメント 2008年11月30日放映 109分

        『戦犯たちの告白 』NHKスペシャル 35分 インターネット上にはすべて掲載されていないとみられる。たぶん5分ほどの欠落あり。

        「日本人中国抑留の記録」NHKETV特集 インターネット上にはすべて掲載されていない。冒頭の欠落あり。放映は1999年とみられる。

        • 大坪明子さん
        • 2013/02/06 7:08 AM

        初めまして。

        大変内容の濃い記事でした。ありがとうございます。参考にさせていただきます。

        1988年、中帰連は元「撫順戦犯管理所」前に『謝罪碑』を建立しています。建物は当時のものかどうか解りませんが、写真が公開されています。石碑は2メートルくらいに見受けられました。

        それから「洗脳」という言葉は、中国産だそうです。やっぱり、、、

        • 大坪明子さん
        • 2013/02/06 6:56 AM
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