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    チベットの惨状〜まるで文化大革命さながらの弾圧の光景

    チベットのこと comments(1) trackbacks(0) まったけの嫁


    温家宝首相は、「チベット自治区ではチベット族の信仰の自由が尊重され守られている」 と言いましたが、中国共産党のいう「信仰の自由が尊重され守られている」という状態はというのはこれ⇒ http://youtu.be/hTKNENM2WoQ



    そして、今この瞬間も・・・


    Stand Up For Tibet Save Tibetan Lives
    http://youtu.be/-A08eUPdGAg




    チベットのことをご存知ない方には、ぜひ知ってほしい。何もできないかもしれないけれど、とにかく知ってほしい・・・そう思います。



    Will 3月号 有本香氏の記事より
    ※リンク・※はブログ主が加筆したものです


    チベット僧、相次ぐ焼身自殺の真相


    大きな火柱と黒煙に包まれ燃えているのは、人だ。


    周囲から悲鳴が上がるなか、全身を炎に包んだその人形(ひとがた)は、驚いたことに、しばし直立不動でいた。その後、車道中央に向かって歩き出したかのように見えた次の瞬間、崩れ落ちた。男か女かは判然としない。が、くるぶしまである衣を着ている様子から、チベットの僧侶であろうということは伺えた。


    背景に映し出されていたのは、小さな商店が軒を並べ、車やバイクが行き交うごくありふれた田舎の街並み。平穏にも見えるその光景を一変させた、まさに衝撃の映像がインターネットを通じて世界に流されたのは、昨年11月のことであった。
    ※【動画】焼身自殺した尼僧の映像を公開


    Horrifying Image”(震撼させられる光景)−−英国メディアがそんな見出しを打って伝えたこの映像は、昨年11月3日の白昼、東チベットのカムゼ(四川省甘孜チベット族自治州)タウ(道孚)という地区の路上で、35歳のチベット尼僧が焼身自殺を図った際の様子と伝えられている。傷心の理由は、当地で続く中国当局による圧制と人権侵害、ことに宗教的自由への弾圧に対し、抗議の意思を示すためだったとされる。


    尼僧の名はパルデン・チュツォといい、タウ地区のドロチョ村出身。同じタウ地区にあるダカール・チェリン尼僧院の尼僧であったが、パルデンはこの尼僧院から車で1時間ほど離れた、ナムギャル大仏塔のそばの路上で焼身した。


    11月3日はチベットでは宗教的断食修行「ニュンネイ」の最終日にあたっており、タウ一円から大勢の僧侶や市民がナムギャル大仏塔内に集まってその修業を行っていた。つまり、パルデンの焼身が、耳目を集める時と場所を選んで決行されたことは疑う余地もない。


    加えて、その一部始終がかなり鮮明な映像で残され、あまり時間を空けずに世界に流れたことから、彼女の行為が、「協力者」を得て行われたことも見て取れる。その協力者にはチベット人、あるいは欧米系の人権活動家のみならず、中国の現体制に反対する中国人が含まれているとのたしかな筋からの情報もある。



    炎に包まれて合掌


    ダライ・ラマ法王事務所のサイトには、パルデンが「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を」などと叫んで自ら火を放った、との情報が紹介されているが、別の筋では、このとき彼女はガソリンを飲み、そしてかぶり、「チベット独立」と叫んだとも伝えられた。炎に包まれ、崩れおちるまで合掌し、経を唱え続けていた、とも。映像で直立不動と見えたあの間、彼女は祈り続けていたというのだ。


    それにしても、現代のインターネット社会とは何と残酷なものかと思う。極限まで追い詰められたチベット人たちは、ネットの向こうにいる私たちの良心に一縷(いちる)の望みを託して、自身を燃やす。一方の私たちはというと、ネットで送られた彼、彼女らの凄絶なメッセージを前にしてさえ、ただただ無力である。


    この期に及んでも、否この状況下だからか、日本のマスメディアがチベットの動静を、新華社や他国のメディアからの転電によってのみ伝えていることは残念だ。一方、それは他人ごとではなく、1フリーランサーではあるが、同じく現地は飛び込んで行くことのできていない自分自身をも情けなく思っている。


    しかし、世界には図抜けた勇気と能力をもつ同業者がいたもので、ロイターの記者はパルデンの事件後、現場のタウとダカール・チェリン尼僧院への侵入取材を果たした。そのレポートは、パルデンのことを「もの静かで経典に通じた尼僧で、周囲の誰も、彼女が焼身自殺するとは思いもよらなかった」と伝えている。



    相次ぐ焼身自殺


    昨年3月から年末までの間に起きた僧侶らによる焼身は、確認され、外に伝えられただけで12件。
    うち11人は、18歳から35歳の若い僧侶であった。


    さらに、2012年の年明けからまもなく2人が、14日にはまた1人が焼身したとの情報が届いた。
    ※2月にはいってからも、悲しい事にいまだ僧侶の焼身自殺による抗議が相次いでいます
    チベット僧侶、焼身自殺 中国青海省(2/17) / チベット僧が焼身自殺図る 中国四川省(2/13)



    チベット亡命政府のダライ・ラマ法王日本代表部事務所の駐日代表ラクパ・ツォコ氏はいう。


    現在、チベットの状況はこれまででも最悪のレベル文化大革命の頃のようだとの報告もある焼身は、現状を外へ訴える手段はもはやほかにない、との追い詰められた思いからの行動だと理解しています」
    【動画】中国:大いなる実験 5 of 5(文化大革命2 1967-1989) 文革時の死者数の公式な推計は中国当局の公式資料には存在せず、内外の研究者による調査でもおよそ数百万人から1000万人以上と諸説ある。


    殺生を厳しく禁じるチベット仏教では、自殺を「肯定」していない。自ら火を放つ行為は最も重いカルマを背負う罪だと戒められており、ましてや僧侶ともなれば、呵責の意識はいっそう強いはずだとラクパ氏は強調する。


    ところが、もう一方の当事者である中国共産党政府は「焼身自殺はテロ行為と見なす」という、なんとも冷酷無慈悲なコメントを放ち、例によって「ダライ・ラマ側が、僧侶らの暴力的な行為を煽動している」と付け加えることを忘れなかった。



    相次ぐ焼身自殺の発端となった件にも触れておきたい。


    昨年3月16日、折りしもわが国が東日本大震災に見舞われた5日後、チベット北東部のンガバ地方にあるキルティ僧院の若い僧侶が焼身した
    20 歳の僧侶、プンツォは なぜ焼身自殺したのか?


    理由は、3年前に遡る。2008年、あの北京五輪が開催された年の3月に、チベット全土で起きた抗議活動を中国当局が武力弾圧した件を読者の皆さんはご記憶だろうか。ことに3月14日、チベットのラサで起きたデモ弾圧に対して世界中から抗議の声があがり、北京五輪の聖火リレーに混乱が生じた。


    あれから3周年となった昨年3月、キルティ僧院の一人の若い僧侶が、あらためて当局への抗議の意志を表すため、焼身に及んだ。


    ところが、ここでさらなる異常事態が起こる。現場に現れた警官が、僧侶の身体の火を消しつつも激しく殴打し、これが死の一因となったというのである。


    この時の詳細な情報はむろん、中国政府や政府系のメディアからは伝えられず、チベット亡命政府系メディアと、チベット内に独自の情報ルートをもつ米国のメディア、ヨーロッパのメディア等から発信された



    チベット人の「強さ」

    焼身した若い僧侶がいたキルティ僧院には当時、約2500名の僧侶が暮らしていた。焼身した僧侶への警察による暴行は当然、他の僧侶らの大きな憤りを招いた。当局への反発も強まるなかで、とうとう当局は僧院を「封鎖」するに至る。
    中国当局のキルティ僧院弾圧に対するチベットNGO共同声明:軍と警察による寺院の封鎖と兵糧攻めの非人道行為を強く非難する


    多数の武装警官隊と人民解放軍が僧院を包囲し、食糧や生活用品を運び込むことさえできない日が続いた。この頃、私の元へも世界中のチベット支援団体等から、「このままでは僧侶たちが餓死してしまう!」というメールが幾通も届いたが、そのなかには僧院の惨状とあわせ、心底驚かされることが書かれていた。


    当初、私は中国当局が僧侶らを兵糧攻めにしているのだとのみ理解しかけたのだが、実際は必ずしもそうではないようだった。


    武装した兵士が僧院を取り囲む。僧院の周囲はなんと、チベットの一般民衆、丸腰の民衆が取り囲んでいるというのだ。付近の道路を埋め尽くすほど大勢で取り囲み、軍車両1台たりとも僧院に出入りさせないようにしているとも書かれてあった。


    何たることか。


    自らの体に火を放った者にさえも容赦なく銃弾を浴びせ、殴りかかる。それほどまでに恐ろしい、中国の武装警察や軍に、チベットの市民たちが丸腰で立ち向かっているというのだ。彼らのこの途方もない強さは一体、どこから湧いてくるものなのか。


    相次ぐ焼身自殺と、冒頭の尼僧の焼身について考えている時、ふと老僧パルデン・ギャツォ氏のことが思い浮かんだ。
    パルデン・ギャツォとは


    パルデン・ギャツォ氏は、30年以上もの間、中国当局によって投獄され、筆舌に尽しがたい拷問と強制労働を耐え抜いた末に解放されて亡命を果たした人物だ。いまもインドのダラムサラで健在である。私は2009年にインドで対面したが、その眼光、全身に苛烈な体験に堪えた痕を滲ませながらも、温厚そのものの表情をたたえた老僧であった。
    人権問題 - Human Rights 「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」


    彼の不屈の半生を描いた著著の題名は、『雪の下の炎』という。


    映画『雪ノ下の炎』
    映画『雪の下の炎』公式サイト


    チベット人は自国を「雪の国」と呼ぶが、その冷たい雪の下に、炎のように熱い思いと魂が秘められている、との意味を込め、つけられた名だ。


    自身を燃やしてまで、自由と民族の誇りを訴えようとした尼僧・パルデン・チュツォ。日頃は「もの静かで修行熱心な尼僧だった」という彼女の内に秘められた「炎」は、まさに老僧パルデン・ギャツォから無言で継がれた、チベット魂そのものではなかったか。



    「我々は軟弱ではない」

    そのようなことを思いながら、同時にもうひとつ、一昨年の別の意外なニュースをも思い出していた。2010年7月6日、この日は亡命しているダライ・ラマ14世法王の誕生日だが、タウのチベット人らが、当局の妨害もなく、これを盛大に祝ったとの情報が流れた。


    1千人のチベット人が、件(くだん)のナムギャル仏塔までの2キロの道のりを、法王の肖像を掲げて歩き、仏塔の玉座に飾ったという。その列は途中、政府庁舎前を通ったにもかかわらず、当局が看過したというので記憶に残っていたのだ。


    弾圧をすれば大きな混乱につながりかねない。当局はそれを避けたのだと見るのが妥当だろうが、これは一体どういうことか。


    考えられることはひとつ。半世紀を超える中国共産党の圧制を経てなお、このタウという地域、あるいはカムゼ全体、いやチベット全土が、『雪の下の炎』燃えさかる地であることを意味しているのだ。しかもそのことを、恐ろしい弾圧を繰り返す、あの中国共産党当局も承知しているのである。


    か、か、の二つによって人を支配することしか知らない中国当局の面々にとって、まったく理解不能の、かつ最も厄介な存在。それがチベット人ということなのであろう。


    「私たち雪の国のチベット人は軟弱ではない。宗教や文化という面で誇るべき一民族であり、その尊厳と信念において弱き者ではない


    これは、ダライ・ラマ14世法王の言葉である。チベットで命がけの抵抗運動が起こるたび、この言葉を思い起こさずにはいられない。


    非業の尼僧、パルデン・チュツォの焼身からわずか1カ月後、またもやチベット発だという、別の衝撃的な画像がインターネット上に流れた。


    「分裂国家」などと”罪名”が書かれた看板を首から下げさせられた大勢の僧侶たち。彼らは並んで地面にひざまずかされたり、まるで家畜のように、トラックの荷台へ詰め込まれたりしている。さらに、トラックの荷台に載せられた僧侶らは、看板のかかった首だけを荷台外へ出した姿勢で晒しものにされてもいる。なかには、年端のいかない少年の面差しの僧が何人も見えるーー。


    21世紀の現代に、隣の国で現実に起きていることとは思えない。まるで文化大革命(1966年〜76年)さながらの弾圧の光景である。



    チベット問題、最大の争点


    昨年秋、四川省の成都と徳陽の特別警察が行った”治安維持のための活動”を撮ったものとされていたこれらの画像は、これまでチベット関連で相当ショッキングな話や資料に触れてきた私でさえ、俄(にわ)かには本物とは信じがたいものだった。


    そこで、インドの関係者や米国ワシントンのボイス・オブ・アメリカ等の関係者に画像の真偽を照会してみたところ、これらが真実だと判断するに足るいくつかの情報が得られた。残念ながら、これは現代のチベットで実際に起きていることのようだ。


    四川盆地の西北に位置する徳陽市は、その西南にキルティ僧院のあるンガバ(アバ・チベット族・チャン族自治州)が隣接している。昨年3月の事件以来、キルティ僧院の周辺には、他の地方から約2万人の警察部隊が送り込まれ、僧侶の逮捕も相次いでいるとの情報は伝わってきていたが、これらの画像はその弾圧の様子をありありと物語るものだった。


    この画像を含む、最近伝えられた一連の事柄は、事態の酷さとともに、半世紀以上もの間、解決の緒にもつかない「チベット問題」の本質ともいうべき、いくつもの争点をあらためて浮き上がらせている。



    「争点」とは何か。まず、注目すべきは15件の焼身が起きた地域である。




    チベット2012年2月上旬焼身自殺者



    焼身が突出して多く発生したのは、前出のンガバを含む、四川省から青海省に至る地域で、これまでに10件超に上っている。他に、パルデン・チュツォが焼身したタウ(四川省)も含め、多くがチベット自治区以外の地域で起きている。


    チベットサポーターを自認する人はともかく、普通の日本人は「チベット」と聞けば、ラサのある「チベット自治区」のみをイメージしてしまいがちだ。ところが、チベット亡命政府側のいう「チベット」とは、今日の共産党政府が定めた「自治区」を超えた、はるかに広大な地域であり、この点がチベット問題における最大の争点のひとつである。


    チベット自治区に、青海省全域と四川省西側半分、さらに陜西省と雲南省の一部を加えた、いわゆるチベット高原全体が古来チベット人の居住地域であり、伝統的に「チベット」と認識されてきた、というのがチベット亡命政府側の主張だ。


    その総面積は実に、今日の中華人民共和国の全領土の4分の1にもあたる。この全域に、チベット人による「高度な自治を」と、ダライ・ラマ14世法王側が訴え続けているのだ。


    ダライ・ラマ側のいう本来の「チベット」が、時間の経過とともに「自治区のみ」であるかのように矮小化されていった経緯は、拙著『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)に詳しいが、これは中国国民党から共産党へと引き継がれた戦略に沿って行われてきたことである


    ところが皮肉なことに、「四川省」や「青海省」というラベルをしかと貼り、60年間、漢族を流入させ続けチベット人を烈しく弾圧し続けてまで、中共政府が「わがもの」としてきたはずの東チベット地域では、いまなお最も激しく、多くの抵抗が起きている。


    この事実は、中国共産党による非人道的なチベット支配の手法が誤っていることを明確に指し示しているのだが、当局は一向にそれを認める気配はない。これまた、チベット問題における重大な争点の一つである。


    ダライ・ラマ側が求めている「高度な自治」とは、何も突拍子もない考えではなく、実は北京の歴代王朝とチベットとの伝統的な関係に還ろうということであるのだ。チベット人による自治を認め、むしろ北京がチベットを「霊的な上位者」として扱い、敬意を払いつつ彼らの自治を支援するという、「高度な懐柔策」に還ることは、今後の中国に多岐にわたるメリットをもたらすと思われるが、現共産党政権にその方向の考えは微塵もない。


    一方、昨年末以来、中国政府系のメディアは比較的、積極的にチベットでの焼身の件を伝えるようになっているが、その内容は、チベット亡命政府系メディアや欧米メディアが伝えるものとはかなり異なる奇妙な内容となっている。


    たとえば、焼身した人々の年齢を低く言い、あたかも思慮分別の足らない者が起こしたことのように伝えたり、あるいは事件の前に彼らが何らかのトラブルを起こしたなどといって、あたかも精神を病んでいたがために焼身行為に及んだかのように伝えているのである。


    中国当局は焼身抗議するチベット人を「テロリスト」、もしくは「精神病者」に仕立て上げる情報戦を展開しているつもりかもしれないが、これを信じる人は、世界にも中国国内にも多くはいないだろう。



    日本人のできること


    昨年、チベットでの厳しい状況が伝わってくるなかで、ある人達のことが気にかかった。それは、チベット本土から、留学もしくは仕事のために来日しているチベット人のことである。そこで、昨年夏以降、彼らへの取材を試みた。


    少々説明が必要かもしれないが、一口に「在日チベット人」といっても、境遇の異なる二通りの人達がいるのである。


    一方は、チベット本土から中国の旅券をもって日本へ来ている人たち。もう一方は、他国へ亡命したチベット人とその2世、3世という人々である。


    私はこれまで、おもに後者の亡命チベット人の体験談を国内外で取材してきた。しかし、昨年の異常な動静のなかで、本土から日本へ出てきているチベット人、つまり中国籍のチベット人らのことが気になった。彼らは、日本という外国にいても中国側の監視を受けている存在といっても過言ではないからである。


    昨年10月、名前や出身地がわからないよう留意して記事にすることを条件に、一人の中国籍のチベット人を取材した。話は2時間を超え、自身の幼い頃からの体験のほか、親族や友人の苛烈な体験にまで及んだ。ところが数日後、電話があった。


    「ごめんなさい。先日の私の話を記事に書かないでもらえませんか」


    話しているうちに、涙声になっていた。


    「チベットのことを心配してくださって本当に感謝します。ただ、私はもう少し日本で頑張りたい。私にもっと力があれば、国を取り戻すために何かしたいです。でもいまは・・・


    私は、この心変わりをどこか当然のことのように受け止めた。意外なことでも何でもないのだ。


    たとえば、インドへ亡命を果たし、自由を手に入れた若者たちでさえ、「写真を撮っていい?」とカメラを向けた途端、それまで楽しげに話をしていた顔を強張らせることもある。自分の顔写真が外国のメディアに載れば、故郷にいる親族にどんな悪影響が及ぶか知れないからだ


    このあともう一人、中国籍の在日チベット人に接触を試みたが、やはり「将来チベット本土へ帰ろうと考えているので、取材に応じるのは気が進まない・・・」との返事であった。


    私たちが当たり前に自由を謳歌するこの日本で、良識ある外国人市民として暮らしているにもかかわらず、心底から自由でいられない人々が大勢いる。


    この点からも、チベットのことは私たちにとって他人事ではない



    *****


    日本のマスコミが報道しなくっても、このブログでわかります!
    チベットNOW@ルンタ
    http://blog.livedoor.jp/rftibet/




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        >チベット自治区に、青海省全域と四川省西側半分、さらに陜西省と雲南省

        さすがに古代中国の長安や落陽といった首都があった陜西省までチベットの領土だと主張するのは無理がありすぎますが、なにかの間違いでは?
        挙げたURLで見てもカスリもしませんよ。

        • 鹿島さん
        • 2013/01/25 12:43 AM
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