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    【千円から寄附できます】ブータンの歴史的建造物が火災で焼失、小国であるため、再建するのは極めて難しいそうです。

    ブータン王国のこと comments(0) trackbacks(0) まったけの嫁

    昨年11月15日から、ブータンから国賓として日本を訪れ、素敵な笑顔を見せてくださったワンチュク国王とジェツン王妃。




    そんなお二人の大切な国、ブータンの残念なニュースが・・・(ノД`)・゜・

    ブータンの歴史的建造物が火災で焼失、国王夫妻も現地入り

    http://www.cnn.co.jp/travel/30007129-1.html
    2012.06.27 Wed posted at: 10:30 JST
    ブータン西部の歴史的建造物で観光名所にもなっていた寺院「ワンデュ・ポダン・ゾン」で26日までに火災が発生し、地元紙によると、17世紀に建造された建物の大部分が焼失した。ワンデュ・ポダンは3月に世界遺産としての登録を申請したばかりだったという。

    焼失したのは建国者のシャブドン・ンガワン・ナムゲルが1638年に建造した寺院で、国内統治を支える目的もあった。2つの川が合流する地点の絶壁にそびえ立っていた。

    火災は24日午後に発生して一晩中燃え続け、建物全体を焼き尽くした。地元紙は26日までに、城塞入り口前の階段を構成する石組みだけが残ったと伝えている。

    3日前から現地入りしている内相によると、建物内にあった6〜7世紀ごろの歴史的遺産数百点は、運び出したり鉄の箱に入れて3〜4階の高さから下の茂みに投げ落とすなどの方法で焼失を免れ、損傷も軽度で済んだという

    寺院は地元自治体の庁舎としても使われていたが、24日は休日で僧侶の住居も別の場所にあったため、死者や行方不明者は出ていない

    出火原因は現在調査中だが、回線のショートが原因との見方が強まっている。建物は95%が木造で、がけに面した三方からは近付けない構造だったため、消火作業が難航した。

    出火の報を受けてワンチュク国王夫妻も「人心を支えるため」(内相)現地に急行し、消火作業を見守ったという。

    ティンレイ首相は26日、地元紙のウェブサイトに国民向けのメッセージを掲載し、ワンデュ・ポダン・ゾンは再建すると宣言した。同国では1998年の火災で焼失した歴史的建造物のパロ・タクツアン修道院が再建された経緯がある。

    しかし内相は「ブータンは小国であり、我々の歳入で同じ建造物を再建するのは現時点では極めて難しい」と話している。内相は25日を追悼の日と定め、国内の学校や企業がすべて休みにすると宣言した。




    火災が発生した寺院「ワンデュ・ポダン・ゾン」=クエンセル紙提供(CNN)



    http://bhutan.lottitour.jp/?p=3379


    ワンチュク国王ご夫妻、そしてブータンの国民の皆さんが、どれほど残念に思われているかと思うと、胸が苦しくなります ( ノω-、) 。

    なにかできることはないか・・・と、思っていましたところ、ぼやきくっきりさんが、「火災に寄附を!」とブログで呼びかけておられたので、一部転載させていただきます。


    【拡散】ブータン「ワンデュ・ポダン・ゾン」
    火災に寄附(お見舞金)を
    http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1217.html

    私はニュースを知って居ても立ってもいられなくなり、在東京ブータン王国名誉総領事館にメールでこのような問い合わせをしてみました。

    「昨年、ワンチュク国王陛下ご夫妻が来日され、東日本大震災に打ちひしがれた日本国民をお励ましいただきました。その時の恩返しをしたいと感じている日本国民がたくさんいます。私もその一人です。日本国民から寄附を募る計画はございませんか?」

    ほどなく、ブータン王国名誉総領事の徳田ひとみ様からお返事をいただきました。 「お志を賜り心より御礼申し上げます」というお言葉とともに、寄附の受付先をご案内いただきました。

    領事館では寄附(お見舞金)は受け取れないため、徳田ひとみ様が代表を務めておられるNPO法人国連友好協会の口座で受け付けているそうです。

    三菱東京UFJ銀行
    神田支店
    普通口座 0104626
    特定非営利活動法人 国連友好協会
    ※一口1,000円よりお願いいたします。

    詳細は以下のURLをご覧下さい。
    http://bit.ly/NPZb7o

    [注1] 上は短縮URLです。 万一つながらない時はこちらのURLからお願いします。 
    http://japan-un-friendship-associations.org/media/201206_2.html

    [注2] 上記URLの一番下に「募金申し込み」というボタンがあります。ボタンをクリックした先に、口座案内とともにメールフォームがありますが、送信は任意です。
    フォームを設定している理由は以下の二点からだそうです。
    (1)寄附金がどなたから寄せられたかを明確にするため
    (2)連絡先を記入することで寄附金の状況などお知らせできる
    以上のことはブータン王国名誉総領事の徳田ひとみ様に確認済です。もしご面倒でなければフォームからメッセージをご送信ください。

    ※なお、高橋孝郎様@ブータン政府で首相フェローとして働く日本人のブログによれば、ブータン側では寄付の受け入れ口座は下記に決まりましたが、日本からだと送金手数料などが余計にかかってしまうと思うので、上記の国連友好協会の口座が簡単なのではないか、ということです。

    Below is the Bhutanese bank account which is officially gathering donation: A/C No. 0000055333013, Account Name: His Majesty's Kidu Fund, Branch: BNB, Thimphu. Swift Code: BNBTBTBT All your contributions will be acknowledged with your names in the media by the Gyalpoi Zimpoen Office.

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・


    【画像はYuko-Travel.Ruより 焼失前の「ワンデュ・ポダン・ゾン」】


    ここまで** 


    ご賛同いただけましたら、ぜひご協力お願いします。
    また、多くの方へのお声かけも、どうぞよろしくお願いします
    ヨロ(`・ω・´)スク!


    ■ぼやきくっきりさんのブータン関連記事
    ・ブータン国王ご夫妻来日&中共に領土を奪われたブータン
    http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1100.html

    拙ブログ過去記事
    ブータン国王の素敵な笑顔の裏には・・・〜中国に侵略されるブータン王国  国土の18%が既に ・ ・ ・ / ブータン国王の国会での演説とブータンが親日の理由 




    ブータン国王の国会での演説とブータンが親日の理由

    ブータン王国のこと comments(2) trackbacks(0) まったけの嫁


    ブータン王国は、国民の心理的幸福などを指標とする「国民総幸福量」(GNH)を重視する国として知られています。17日の演説でケサル国王は、東日本大震災について「いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません」とした上で、「しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民だ」と語り、ブータンの言葉「ゾンカ語」で祈りを捧げてくださいました。
    国王の演説、まだの方はぜひご覧ください。



    平成23年 2011.11.17
    ブ−タン国王陛下の演説 The speech of His Majesty king of Bhutan
    ※同時通訳で内容が良く分かります。動画がご覧になられない方は、下の全文書き起こしをご覧ください。


    http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=FtxuPyRNszY
    ※ニコニコ動画はこちら⇒
    http://nico.ms/sm16192410 (衆議院インターネット審議中継 http://www.shugiintv.go.jp/index.php より)



    「国民総"幸福"量」を重んじるブータン国王が国会で演説 全文 ニコニコニュース(オリジナル)
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
    2011年11月17日(木)15時31分配信


    ■「皆様は大災害に静かな威厳をもって対処された」

    天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。

     
    妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。

     
    ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。

     
    私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

     
    皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

     
    このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

     
    皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。



    ■「ブータンは小さな国ではありますが強い国でもあります」

    ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。

     
    ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。


    今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。

     
    改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。


    「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

     
    ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。ありがとうございました。


    *****

    何度聞いても素晴らしいブータン国王の演説です。そして有難いお言葉。ブータンの国民の年収は15万円だそうです。それなのに、日本に100万ドル(約8000万円)の義援金を下さいました。本当に感謝致します。



    ところで、ブータンといえば、たいへんな親日国としても知られていますが、なぜブータンが親日国となったのでしょうか。そこには、ひとりの日本人の貢献があったのです。



    ねずきち氏のブログに詳しくかかれていたのでご紹介します。


    (ここから)


    昭和33(1958)年のことです。大阪府立大学農学部に、ある依頼がありました。「ブータンに、日本の農業専門家を派遣してほしい」というのです。

    ブータンは、インドと中国にはさまれた世界唯一のチベット仏教国家です。

    国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念や、さまざまな環境政策、伝統文化保持のための民族衣装着用など、非常に特色のある国でもあります。

    国旗のデザインが、これまた難しい。


    ブータンの国旗

    要するにブータンという国は、ある意味、非常に閉鎖的に伝統を重視する国家なのであって、そういうところで民衆に溶け込んで、農業指導をする。これはたいへんな仕事です。


    ブータン王国で農業指導をするためには、ブータンの人々の生活の中に溶けこみ、「あの人のいうことなら間違いない」という人としての信頼を勝ち得ないといけないのです。ただ頭ごなしに技術を「教えてやる」方式では、絶対にうまくいかない。


    ブータンの首相から直接依頼を受けた同大学の中尾佐助助教授は、たいへんな依頼を請けたと思うとともに、「あの男なら!」と、すぐにピンとくる者がいました。それが、同学部の学生であった「西岡京治」(当時25歳)です。性格が、穏やか。しかも謙虚。友誼に篤く誠実で努力家。根気と忍耐が予想されるブータンでの生活に最適な男は、西岡京治しかいない!


    中尾助教授は、すぐに西岡京治に相談をもちかけます。もちかけられた西岡京治は、同じ年にネパール学術探検隊に参加しています。彼には、ヒマラヤの自然の美しさと、そこに住む人々の貧しさを見て、自分が彼らの生活をよくすることに少しでも貢献できたら・・・という思いがあった。彼は二つ返事でブータン行きを承諾します。


    昭和39(1964)年2月、海外技術協力事業団(現・国際協力事業団)から、西岡に、正式な派遣決定の通知が届きます。
    西岡は、新妻の里子を伴って、その年の4月に、ブータンに飛びます。

    昔からそうなのですが、こうした海外協力隊では、たいていの場合、妻は日本に残して、単身で旅立つ者が多いです。最初から西岡が、妻を伴ったということは、彼自身に、妻を愛する心と、ブータンに骨をうずめる覚悟があった、ということです。


    ブータンに到着した西岡は、さっそく開発庁農業局の事務所に出向きます。農業局は、局長も職員もすべてインド政府から派遣されたインド人です。彼らは、自分たちこそがブータンの農業事情を一番知っている、ブータンの農民は遅れていて因習深く、何を言っても始まらないと、ハナから西岡をとりあいません。実際にブータンの農民と接して農業指導を行うにも、その許可さえくれない。


    西岡は、めげそうになる心を振り絞って、政府に働きかけ、ようやく農業試験場内で、60坪ほどの土地を提供してもらいます。そこは、ひどく水はけの悪い土地でした。これでは野菜の栽培すら難しい。
    要するに「やれるものなら、やってみろ」というわけです。


    西岡が派遣された目的は、農業指導です。荒れ地で、ひとりで栽培をしても、それでは意味がない。それでも西岡は、そこでなんとか頑張ろうと、農業局にブータン人の実習生を要求します。ようやく許可が出て、西岡に実習生がつけられた。その実習生は、なんと12〜3歳の子供が3人!


    ここまでされたら、ふつう、怒るかあきらめるかします。事実、いろいろな国から派遣された指導員は、それで怒って帰国している。ところが西岡は、笑顔で少年たちと土を耕し、樹木を抜き、水利を図って、日本から持ち込んだ大根の栽培を開始します。畑の耕し方、種の蒔き方、土のかけ方、ひとつひとつを西岡は少年たちに実演し、一緒になって大根を育てた。


    大根というのは、昼夜の寒暖差が大きいほど、おいしく、よく育ちます。3ヶ月後、それまでみたこともないような、おおきな大根が育ちます。実った大根を抱えて見せた子供たちの笑顔が、たまらなく美しかった。野菜の栽培は、到底無理、と思われる荒れ地で、西岡は見事に野菜の栽培に成功してみせたのです。


    西岡の成功を喜んだブータン政府は、翌年、試験農場を水はけのよい高台に移してくれます。農業局ではなく、もっと上が動いてくれたのです。耕作地面積も、3倍です。水利がよければ、野菜はますます育ちます。西岡の農場は、狭いけれど、青々とした野菜が見事に育った。


    噂が噂を呼びます。ブータンの知事や議員たちも、西岡の試験農場に視察に来ます。感動したある議員の提案で、西岡は、ブータン国会議事堂前で、試験場で栽培した野菜を展示します。これが、大評判となります。みたこともないほど肥えた野菜です。しかもおいしい。みずみずしい。噂が噂を呼び、ついには国王陛下から、もっと広い農場用地を提供するという申し出をいただきます。後に西岡は、このときの模様を「ブータンに来て、これほど嬉しいことはなかった」と語っています。


    国王から提供された農場は「バロ農場」と名付けられます。「バロ」というのは地名で、ここには、ブータンに仏教を伝えたパドマサンババが空飛ぶ虎の背から降りてきたという伝説が残っているところです。いまでもこの地では、毎年三月に、一年の豊作を願って、人々が様々な民族衣装や動物や鬼などの仮面をつけて、太鼓や管楽器による民族音楽に乗って歌ったり踊ったりします。国王は、そういう由緒ある地を、西岡のために提供してくれたのです。ただし、ここは標高2200メートルの高地です。


    そして西岡のバロ農場は、その後のブータンの農業近代化を一気に加速することになる。まさに、空飛ぶ虎の背(飛行機)から降りてきたバドマサンババ(西岡)が、ブータンの人々の生活を一変させる事業が行われることになります。


    昭和46(1971)年、西岡は、この高地で、米作りに挑戦します。日本では田植えというと、縦と横を一定間隔で植える並木植えがあたりまえの習慣ですが、当時のブータンでは、勝手気ままな植え方をしていました。これだと手押しの除草機が使えない。苗の苗との間の風通しも悪い。当然生育も悪い。


    西岡は、村人たちと再三、並木植えについて相談を持ちかけるのだけれど、「ワシら、昔からこうやってきた」と、とりあってくれません。ようやく「やってみよう!」といってくれる農家が現れたのだけれど、もし、並木植えで収穫量が上がらなければ、西岡の信頼は一気に失われます。西岡は祈るような気持ちで、稲の生育を見守りました。


    結果・・・・・


    並木植えの田は、従来型の雑多な植え方の田と比べて、なんと40%もの増産!!


    村人達は、驚き、喜び、バロ盆地では、数年のうちに約半数が、西岡が持ち込んだ並木植え栽培をはじめます。この農法はいまではブータンに広く普及し、ブータン王国の8割の田が、並木植えになっている。


    1970年、西岡は、国王の命によって、シェムガン県の開発に従事します。この地は、貧しいブータンの中でも最貧地区・・・というより極貧地区です。焼畑農業が営まれ、収穫量が下がると人々は別な土地に移動します。西岡は、ここに10人のスタッフとともに乗り込んだ。しかし、いきなり「よそ」からやってきた西岡の言うことなど、誰も聴きません。成功する保証などないのです。ただでさえ貧しい。ようやっと食べている。先祖伝来の農法を変えることで、万一、収穫が落ちたら、村人たちは飢え死にしてしまうのです。


    西岡の村人たちとの話し合いは、なんと800回に及びます。西岡は根気強く村人たちを説得した。西岡はこのとき、無理に近代化を行うのではなく、あくまで彼らの「身の丈にあった開発」を進めます。いたずらに巨額の開発費用をかけて、たとえば水田に水を引くのにも、重機を用いて水を汲み上げるのではなく、竹などの自然のものを利用して水路を確保した。また、木でできたアブナイ吊り橋を、いきなりコンクリート製の近代的橋に掛け替えたりはせず、耐久性のすぐれたワイヤーロープを使って、吊り橋を直した。


    こうして西岡は、360本もの水路を完成させ、17本の壊れかけて危険だった吊り橋を掛け替えます。村人たちと一緒に作った道路は、なんと300kmにも達した。そして村人たちと共同で、60ヘクタールもの広大な水田を作った。西岡が来る前までの水田は1〜2ヘクタールです。50倍の規模です。同じ人数、同じ労働力、同じ土地で、焼畑農業で農地を転々とさせるのではなく、水路を引き、道を作り、橋を架け、広大な定置農地を確保したのです。


    その広大な農地に、満面の稲が稔ります。
    ものすごい収穫高です。


    極貧地区は、またたく間に生活が安定します。
    子どもたちが喜ぶ学校もできます。
    診療所もできた。
    村人たちは、定住することができるようになり、生活も安定します。


    西岡たちが村を去る日、集まった全員の村人たちは、「はじめに西岡さんが言ってくれた通りになった」と、涙を流しながら西岡たち一行を見送ったといいます。



    ダショー・西岡


    昭和55(1980)年、西岡は長年のブータン農業への貢献を評価され、国王から「ダショー」の称号を受けました。「ダショー」というのは、ブータン語で「最高に優れた人」という意味です。この位は、最高裁の判事クラスしかもらえない称号です。ブータンでは最も栄誉ある顕彰です。


    このとき西岡、47歳。ブータンに来てから16年の歳月が経ってのことでした。そしてその後も12年、西岡はブータンにとどまります。


    平成4(1992)年3月21日、子供の教育のために日本に帰国していた妻・里子のもとに、電話がはいりました。電話はブータンからの国際電話でした。「ダショー・ニシオカが亡くなりました・・・」突然の訃報に動転しながらも、「葬式はどうなさいますか」との質問に、里子はとっさに「バロでお願いします。ブータン式の葬式でお願いします」と答えました。


    ブータンで28年間、ブータン人になりきってブータンのために生き、ブータンのために死んだ夫です。夫は、きっとそう願っているに違いないと、彼女は確信していたのです。


    ダショー・西岡の葬儀は、妻と娘の到着を待って、同月26日に行われました。それは、農業大臣が葬儀委員長を務める国葬でした。ラマの僧侶の読経が山々にこだまします。葬儀には、西岡を慕う5千人もの人々が、ブータン全土から集まりました。ブータンは、国をあげて西岡に感謝の心を捧げてくれたのです。

    ---(ここまで)---



    トルコの親日の理由もそうですが、こういう大切な歴史を、日本人が知らないのは問題ですよね。学校でも教えない、マスコミも伝えようとしない。
    「日本」の異常さ感じます。



    それから、「ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています」 という有志ルリさんからの残念なコメント。

    「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で」 →★全部カット
    「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、
    偉大な日本の成功を、心情的に分かち合ってきました。」 →★全部カット

    「このような不幸から強く立ち上がることができる国が(世界に)★ひとつ★あるとすれば、
    それは日本と日本国民であります。私はそう確信しております」 → ★「ひとつ」の部分だけカット

    「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
    以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット

    「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
    「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、
    強固な伝統的な価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット
    「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた
    誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、
    知行合一、兄弟愛や友人、ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット

    「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
    日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット

    「文化、伝統、及び、価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは
    我々の現代の世界で、他に(他の国で)、見出すことは、ほぼ不可能です。」  →★全部カット

    他にもカットシーンがたくさんあるので、元資料で↓確認してください
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
    http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=FtxuPyRNszY

    以上の様なコメントを見つけましたので、転載しました。




    管理人もまだ確認しとりませんが、カットされているのは、特に「素晴らしい」と感じた部分ばかりのようです。なぜ隠すのでしょうね。日本の素晴らしいことを・・・。

    日本がおかしくなっている証拠。
    なのに、このことを知らない国民はいっぱい。情けない話です。






    関連記事
    ・The king and the queen of Bhutan's visit to Japan (1) (English follows)
    http://thanks2happiness.blog.fc2.com/blog-entry-20.html
    ↑日英併記。ブータンで首相フェローとして働かれている方のブログです

    ・ブータン政府(英語)
    http://www.bhutan.gov.bt
    ・駐日ブータン王国名誉領事館
    http://bhutan-consulate.org/

    ・Bhutan's royal wedding frenzy
    http://youtu.be/OqXXV2g5KZs
    ブータン国王陛下の結婚式に関するアルジャジーラの英語の報道

    ・ブータンのティンレー首相のNYでの演説。こちらも素晴らしい。
    The speech of Bhutan PM Lyonchhen Jigme Y. Thinley
    http://goo.gl/AzW3K
    ※動画は2011年9月のNYでの演説です。南アジアの­展望を述べ、歴史的な足枷から解放される時代が来たと­呼びかけ­ています。
    ティンレー首相は前国王と当代の2代の国王に仕え、議会民主制、­立憲君主制をブ­ータンに根付かせようとしています。未来におい­て、アジアの歴史の­中で名宰相として語り継がれるべき方になる­ことでしょう


    ・ブータン王国の国民総幸福量(GNH)について
    http://bhutan-consulate.org/bhutan/nationalhappiness.html
    ・GNH研究所
    http://www.gnh-study.com/
    ・ブータンについて
    http://www.japan-bhutan.org/about_bhutan.html
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/data.html
    ・現在のブータンのサッカー代表監督、アカデミー監督は
    日本サッカー協会から派遣されています(2011.11現在は松山博明氏)
    http://www.penalty.co.jp/blog/hiroaki_matsuyama/
    http://www.jfa.or.jp/jfa/international/dispatch/instructor.html


    ブータン国王の素敵な笑顔の裏には・・・〜中国に侵略されるブータン王国  国土の18%が既に ・ ・ ・

    ブータン王国のこと comments(3) trackbacks(0) まったけの嫁


    15日から、ブータンから国賓として日本を訪れているワンチュク国王と先月、結婚式を挙げたばかりのジェツン王妃。





    ありがたいお言葉ありがとうございます。


    ブータン国王が国会演説で礼賛
    「日本は震災に心の強さで対処した」
    http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/111117/cpd1111171541009-n1.htm
    2011.11.17 15:39


    挨拶を終えた平田健二参院議長(右手前)に一礼するブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王。左はジェツン・ペマ王妃=17日午後、国会・衆院本会議場(酒巻俊介撮影)

    国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)は17日昼、衆院本会議場で演説を行った。

     
    国王はブータンの民族衣装で壇上に立ち、東日本大震災について「大混乱と悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民は最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、心の強さをもって対処された」と述べた。また「日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直った」と日本をたたえた

     
    美しい容姿で注目を集めているジェツン・ペマ王妃(21)も臨席した。衆院本会議場は衆参両院議員でほぼ埋め尽くされた。
    ※関連動画:来日中のブータン国、両陛下が国会へ / 皇居でブータン国王夫妻の歓迎式典



    17日午前は、港区にある慶應義塾大学を訪問され、清家篤慶応義塾長から名誉博士号を授与される授与式典では、環境や貧困、保健衛生などの問題を克服するためには「国や人種を超えた結束が必要」と強調。学生たちに「さまざまな挑戦に打ち勝つ勇気を持ってほしい」とエールを送られたとのこと。明日18日からは福島県相馬市や京都市などを訪問されるご予定。
    ※参考記事:イケメン国王に名誉博士号 慶応大で授与式典 



    慶応大の名誉博士号の授与式典後に学生に語り掛けるブータンのワンチュク国王=17日午前、東京都港区



    笑顔が本当に素敵 ニコ(´∀`)ニコ。



    でも、この笑顔の裏側にはこんなことが・・・(´з`)。
     ↓

    中国に侵食され続けるブータン王国
    国土の18%以上が既に縮小


    http://youtu.be/nMbwpC5dEjA

    動画説明文⇒ 中国人民解放軍は毎年数kmずつブータン内部に入り込み、勝手に建設物を建てて既成事実を積み重ねてきました。その結果ブータンの国土が18%以上も中国領土にされてしま­ったのです。そしてその蛮行は今もなお続いています。



    昭和の残党 さんブログより

    国王陛下夫妻が来日中のブータン王国についてですが・・。
    中国(チベット自治区)と接するブータン北西部(下の地図の円で囲った辺り)の領土に、中国の人民解放軍がじわじわと侵入し、2006年のブータン政府の発表では、中国領になってしまったとのことだ。


    以前との差は、約8,000平方キロ。兵庫県とほぼ同じ広さである。



    下図の行政区画区分地図で見ると、4番の「ガサ県」( Gasa )の大半が侵略されている事になる。




    ちなみにGoogleマップのブータン地図では、中国領になったと思われる地域が点線で表示されている。



    呆れた事に、共産支那発行の地図では、「 不丹 」 ( ブータン ) は下記のように表記されている・・・



    強引に道路を建設し、国境線を書き換える暴虐行為
    南シナ海どころではない! ブータンでは知らぬ間に国土が2割も奪われていた
    (SAPIO 2011年7月20日号掲載) 2011年8月4日(木)配信
    http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20110804-01/1.htm

     


    日本ではひたすら笑顔の国王夫妻だが、
    いろいろ大変なんだよ。察してやってくれ・・・
     

    【ブータンはこんな国】

    1989年2月24日、34歳の先代ジグミ国王が、昭和天皇の大喪の礼参列のため、 民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが日本から経済的な協力を得るために、葬儀の前後に日本政府首脳と会談する弔問外交を行うなかで、ブータン国王はこうした弔問外交を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。

    新聞記者が理由を尋ねると、国王は、「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。

    そのあと国をあげて喪に服してくれたんだぜ。
    まるで自分の国の事のように・・・



     

     

    ---(転載ここまで)---


    そんな状況の中、日本を訪れてくださった国王夫妻。
    そんなお二人を招いた宮中晩餐会が、16日夜開かれました。


    先日、西田議員も話されていましたが、わが国の防衛大臣・一川保夫がこの晩餐会に欠席し、民主党の高橋千秋参議院議員の政治資金パーティーへ参加してたのです(o`・з´・)p


     これ見て ↓

    防衛相はブータン国王晩餐会に政治パーティー理由に欠席

    16日夜にブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王の晩さん会が開催されたが、一川保夫防衛相が議員パーティーへ参加したために欠席していたことが17日の参院予算委員会で明らかになった。自民党の宇都隆史氏の質問に欠席を認めた

    一川防衛相は「その席には出ておりませんでした。あったと聞いておりましたが、色々な予定の中で出席が難しいと聞いておりました」と欠席を認めた。

     
    どこに行っていたのか詳しく聞かれると、「昨日は実は、民主党のある国会議員の会合に出ていました」と答えた。

     
    宇都氏が「高橋千秋さん(参院議員)のパーティーで、『今この時間、宮中晩さん会が開かれているけど、こちらに来ている』と述べていますね」とさらに追及。

     
    一川防衛相は「ひじょうに発言は軽率だったと思いますけど、高橋千秋先生がブータンのお世話をしていると聞いているので…。たいへん申し訳なかったと反省しております」と謝罪した。

     
    ブータンは3月18日に日本に対して100万ドルの義援金を送っている。ワンチュク国王は今回の来日は国賓扱いとなっている。

    ※参考動画⇒ 【ニコニコ動画】11.17参議院予算委員会宇都隆史議員(自民)




    めちゃ、はらたつ。
    「ばれたから謝る」ってパターン。絶対、許せないε=(。・`ω´・。)。


    閣僚として国賓を迎えるのは公務でしょ。それに記事にかかれている通り、ブータンは震災の時に、多大な支援をしてくれた国でもあります。感謝の気持ちってのがないのか、こいつには (怒`・ω・´)ムキッ 。


    公務と議員活動の優先順位も分からない奴は
    とっとと国政から出てけ!!
    モウヽ(#`Д´)ノユルッツァネェ!!!!! 



     

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